Best My Friend −プロローグ−
京都御所───京都市上京区の御苑内にある旧皇居。後小松宮天皇以来、明治天皇東京遷都までの内裏。現在の建物は1790(寛政2)年に松平定信が造営。炎上後、1855(安政2)年に再建。
御所、紫宸殿の左右には桜と橘が植えられている。左に植えられている桜は、左近衛府が管理したことから「左近の桜」と呼ばれる。右に植えられている橘は、右近衛府が管理したことから「右近の橘」と呼ばれている。
この二本の木、約1200年経った現在も生き続けている。
春、修学旅行の前半ラッシュの季節である。高校はもちろんのこと、今時の小学校や中学校も京都に来るようになっていた。
この話で重要場所となる「京都御所」は、春秋の約一週間の一般公開以外は事前の申し込みがないと見学できない。
京都御所を見学してきた者の内、一人は必ずこう言う。
「『右近の橘』の近くで、髪の長い着物を着た女の子に話しかけられた」
見学したときにはそんな女の子はいなかったし、昼間から幽霊が出るわけもない。それに、申し込み見学では見学者の人数も入る前に確認されるため、一緒に入って来るというのは不可能に近い。けれども、誰かしら話しかけられているのである。
「右近の橘」の前で。
そして聞かれることはいつも同じ。
「あっちの木の方に私と同じような姿をした人がいないか見てきてくれない?」
「あっちの木」というのは「左近の桜」のことである。
言われた通りに見に行くと「左近の桜」には誰もいない。そのことを伝えると「ありがとう」と言って消えてしまうのだった。
一般公開日。
五歳くらいの男の子が「右近の橘」の前で転んでしまった。大きな声で泣いているが、親が来る様子はない。それでも、男の子は泣き続ける。
しばらくして、風もないのに木が揺れた。
そして、男の子の前に薄い黄色の着物に赤い袴をはいた少女が現れ、男の子を抱き起こした。
「大丈夫? もう泣かないで、ね?」
男の子は涙を袖で拭きながら、起こしてくれた少女を見た。
「あのね、あっちの木の方に私と同じような姿をした人がいないか見てきてくれない?」
少女は「左近の桜」を指さした。男の子は大きくうなずいて走り出した。「左近の桜」の周りをぐるっと見てから少女の元に戻ってきた。
「誰もいなかったよ?」
少女は男の子の頭に手を乗せ、一言「ありがとう」と言った。
本当はあの桜には誰もいないことはわかっていた。
「お姉ちゃん。お姉ちゃんは誰なの?」
おもむろに男の子が聞いた。少女は「右近の橘」に寄り添い、呟いた。
「私は……右近。『右近の橘』だよ」
そういって、右近と名乗った少女は消えた。木に吸い込まれるように。
『今日もやってたんだって?』
『見学者にはいーメーワクだよね』
『無駄なことを……』
『だってもう50年だよ。そりゃ、私たちにとっては短いけどさぁ』
『本当に左近ちゃん、どこに行っちゃったんでしょう?』
京都御所にはたくさんの庭があり、そこには色とりどりの花や姿を見せる木々が植えられている。それらは(左近の桜、右近の橘を含む)1000年は軽く生きているので、その精霊は実体化し、人間と同じように井戸端会議をすることが出来るのである。
『でも、ここから出ようとはしないんだよね』
『ってーか、出れないじゃん』
『……なら……左近ちゃんはどうやって出たのでしょうか?』
そう。
京都御所のような古い建物には特別な結界があるらしく、人間や御所の外にいる幽霊や精霊は自由に出入りできるが、御所内に住んでいる幽霊や精霊は外に出ることができない。いくら長い年月を生きていたとしても。
しかし、「左近の桜」の精霊(通称:左近)はどうやってか、出られないはずの御所から出ていってしまったのである。
『まぁだいじょうぶだよ。右近ちゃんが出ようとしたら、右近衛府がさ、止めてくれるよ』
『左近ちゃんの時は左近衛府、気がつかなかったんでしょ?』
『ちょっとマヌケだよね』
『んもうっ! あの時はみんなそれぞれ忙しかったんだからしょうがないでしょ! 私たちだって気がつかなかったじゃない。同じことよ!』
『だって〜〜〜』
こういった精霊達のとりとめのないおしゃべりで京都の夜は今日も更けていく。
To be continued
注) 左右近衛府……奈良、平安時代に禁裏の警備を司った役所。