天の北極
身体に受けた軽い衝撃にカガリの意識が浮上する。
「…………」
ぼんやりとした目を何度も瞬けば、明かりの落とされた自分の部屋と認識出来た。確か、今日は早くに眠ったはず。ただ、何故かベッドはカガリの横にある。
珍しく落ちたのかと思いながら身体を起こすと、ふかふかした物が身体の下敷きになっていた。それは、寝るときにいつも抱いている抱き枕。彼女の上司であるマグマ団リーダーマツブサの写真がプリントされたカバーが付いている。
身を挺してベッドから落ちた自分を守ってくれたのだと、カガリの心に嬉しさがこみ上げた。ぎゅっと一度抱きしめ、ベッドの上へと丁寧に戻す。
「そういえば……撮ってない……。最近……………リーダーの……写真……」
カガリはマツブサの様々な写真や画像を所有している。そのコレクションは年代、表情問わず膨大な物。過去のものの入手元は誰にも明かさないが、現在のものはこっそりと隠し撮りしたりしていた。しかし、最近は任務が忙しく、カメラの画像も増えた記憶がない。
眠気は飛散し、覚醒してしまった頭。善は急げとばかりに机の中からカメラを取り出し、部屋を出て行った。
マツブサの部屋にはベッドがない。いや、正確には、見えている部屋にベッドを置いていないだけだ。眠るという行為は、非常に無防備である。頭を欠けば、組織の壊滅もあり得る。それを考慮し、隠し扉の先にマグマ団リーダーの寝室が設えられていた。
しかしそんな寝室にも、カガリだけが知る、秘密のルートが存在する。正確には、マツブサの寝顔を撮るためだけに彼女が作り上げたルートと撮影場所だ。
ベッドに横になるとちょうど顔が見える位置の壁が引き戸になっていて、カガリはそおっと開ける。夜半を過ぎたこの時間であれば、きっと寝ているはず───と期待したのだが。
「いな……い……?」
思わず引き戸を全開にし、部屋の中へと侵入する。
部屋の中に気配すら感じず、隠し扉を開け、いつも座っている机のある部屋に移動するが、やはりマツブサはいなかった。
おかしい───カガリはそう感じる。この時間にマツブサが外出するなど、考えられないことだ。適切な睡眠時間が、仕事の能率を上げるのだと、常々言っていた。急を要する案件が舞い込んできたのだろうか。
ここにいても仕方ないと判断した彼女は、足早に自室へ戻った。そして、パソコンを開き、監視室に集まっているアジトに設置された監視カメラの映像を見るため、ハッキングをかける。
天才的な頭脳を持つ元科学者のカガリにかかれば、セキュリティの突破など朝飯前。そうは言いつつも、このセキュリティシステムをくみ上げたのはカガリ本人であり、自由にアクセス出来るように細工をしていた。
「…………ァハッ♪ ……見つけた…………」
マツブサの姿はすぐに見つかった。三十分前に何かを手に持ちながら、アジトを出て行っている。門番のしたっぱと何かを話しているが、音声は拾っていないため、分からない。外部に設置している唯一のアジトの入り口のカメラは、ミナモシティの砂浜に降り立った彼の後ろ姿を映していた。
クロバットで空を飛ぶなら、わざわざ降り立つ必要はない。ならば、マツブサは砂浜にまだいるはず。そう見当を付けたカガリは、再度部屋から出て行った。
深夜の浜辺は穏やかな波の音だけを響かせている。
細かい貝殻の混ざった砂浜を歩くと、微かに足音が鳴った。気づかれてしまうだろうかと心配になりながら、カガリはそっと歩みを進めていく。
マツブサは視線の先にいる。何故か、砂浜に横になっていた。
発見した瞬間、カメラのズーム機能を使ってその姿を確認してみれば、目を閉じてはいるが胸は規則正しく上下しているように見えた。
何をしているかは分からないが、そのままフレームに収めたマツブサの横顔はひどく穏やかだった。
カガリはシートを敷いて横たわっているマツブサの隣に、見下ろすように立った。ここまで近づいたにしても、何をしているのかは理解が出来ない。
「……」
「ホムラか? まだ早いだろう。月が……」
近づいていた足音に、マツブサは気がついていた。ミナモシティの住人と思っていたが、すぐそばで立ち止まる気配を感じ、時間になっても戻らなければ、迎えに来るよう伝えていたホムラかと問いかける。
だが、かけられた声はまったくもって予想外の人物のものだった。
「……リーダー…………。何……してるの……?」
目を開けて声の方を見ると、カガリがしゃがんで首を傾げている。
「カガリ。お前こそどうした?私に用があって来たのか?」
「……」
ふるふるとカガリは首を横にふった。
用があったのではないのなら、何故ここに彼女はいるのだろう。疑問に思いつつも、マツブサは再び目を閉じた。
「私は頭と身体を落ち着けている。就寝前のリラクゼーションだ」
「……リラクゼーション?」
「そう。こうして横になり、目を閉じると、偉大なる大地に抱かれているように思えるんだ」
マツブサがシート越しの背中から感じるのは、大地の温もり。手放しで全てを預けられるような、安寧を与えてくれていた。
「そして、波のリズム。波は一分間に十八回と寄せては引いてを繰り返している。私たちの呼吸も平常時は一分間に十八回であり、波とシンクロする」
目を閉じれば、視覚は遮断される。聞こえてくるのは、永遠と繰り返される雄大な波の音だ。その音に身を委ねれば、自然と呼吸のリズムが波と同調する。
「加えて、今宵は満天の星空。星座もよく見える。人工的なものを排除し、自然に身を委ねる───。それで心身ともにリセットをする」
開かれた目は真上の空を見、言葉が進むととともにカガリへと紡がれた。視線を合わせたマツブサの眉間には、いつもあるしわがない。
カガリが心酔するマツブサがいいというものなら、自分も試してみたい。真っ直ぐ目を見つめながら、カガリは小さく口を開いた。
「ボクも…………」
「横になってみるか?」
マツブサの誘いにカガリは何度も頷いた。
身体を移動させ、カガリ一人が横たわれるだけのスペースを空ける。すると、すぐさま小さい身体がころんと転がり込む。
先程のマツブサと同じように仰向けになり、意識していると分かるほど、やや忙しない呼吸をカガリは繰り返した。
「無理に合わせようとしなくていい。心を落ち着け呼吸をすれば、自ずと合ってくる」
そう言われ、一先ず落ち着こうとカガリは思う。しかし、今の状況を認識すると、胸が突然跳ねた。マツブサがすぐ隣で寝ているのだ。いわば、星空の下で同衾状態。落ち着けるはずもない。
「そうだな。折角の星空があるんだ、星の話でもしてみるか」
「……星…………?」
すっと上に向かって伸ばされたマツブサの指をカガリは見た。
雑談を交え、カガリを落ち着けさせようというのだ。幸い、マツブサ自身も星については明るい。
「天の北極の見つけ方は知っているな?」
「……ななつ星……リングマ座の……」
「そう。ななつ星の一辺を五つ分延ばした先にある星が、天の北極にもっとも近い。この空では……あそこだ」
障害物も何もない砂浜では、星座を見つけるのも容易い。
リングマのわりにはしっぽが長いのは、荒くれ者だったリングマのしっぽを掴んで、天に放られたからと言われる。
カガリの答えたななつ星をなぞるように滑らかに動く彼の指。間を測るために開かれた指が五回動くと、小さくも確実に光る星を見つけた。
「現在はヒメグマ座の尻尾の辺りだが、天の北極の星は数千年毎に別の星と入れ替わる。グラードンやカイオーガが生きてきた頃は、他の星が天の北極に程近かったのだろうな」
「…………」
ヒメグマ座のしっぽの頂点付近に天の北極を示す星がある。
ちなみに、ヒメグマ座は親が天に放られたことを嘆き悲しんだ子供を不憫に思い、同じようにしっぽを掴んで放り投げたからだと言われる。
「さて、この天の北極にもっとも近い星、僅ながら他の星と同様天を回転しているのだが、地上からだとほとんど動いていないように見える。そのため航海術等には極めて重要な星となっていて、これを用いる天測航法……」
講義を続けるマツブサの左腕に何かが当たり、言葉を途切れさせた。何かと思い、見てみれば、カガリの頭があった。
「む……」
途中から相づちも無くなっていたため、眠ってしまわないか懸念していたが案の定。心地よさそうなカガリの寝息が波の音に混ざり聞こえてくるようだ。
そう、この難点はあまりに気持ちよさに、本気で寝入ってしまうこと。疲れている日などはすっかり寝入ってしまい、太陽の光で目を覚ましたこともある。
そんな経験をしたマツブサは、出てくるときにホムラへ告げてきたのだった。一時間しても戻らなければ、迎えに来てくれ───と。
「仕方無い。これより先の講義はまた後日だな」
苦笑いを浮かべながらため息をつき、大地と波の音に抱かれながらマツブサは空高くに瞬く星を見上げた。
「逢瀬でしたのなら、そうおっしゃってくださいよ。ワタクシ、完全にオジャマムシじゃないですか」
約束通りやってきたホムラが見たのは、マグマ団のリーダーと女性幹部が仲良く寝ている光景だった。茶化すようににやけながら、マツブサの横に膝を付く。
「……待ってたぞ」
マツブサはゆるりと身体を起こす。
「ウヒョヒョ、分かっておりますとも。カガリはワタクシにお任せを」
その隣には、いよいよ本格的に寝入ってしまったカガリ。海風は予想以上に冷たい。身体を配慮か、マツブサの上着が掛けられていた。
「すまないな。連れて帰れると思ったのだが……」
「体の小さいカガリとて、力の抜けた人間はかなり重いですからねぇ」
掛かっている上着を本人に返却し、よっと……とかけ声をかけて、ホムラが子供のように安らかに眠っている同僚を抱き上げる。
マツブサはそれほど筋力があるわけではない。おんぶで背負うならまだしも、抱き上げるのは難しいだろう。
「戻りましょうか」とホムラが視線で伝えると、マツブサは上着を羽織りながら頷いた。
「眠れそうですか?」
「……ああ、良い時間だった」
外へ出てくる前よりもマツブサの状態は落ち着いていて、このままベッドに入れば問題なく眠れそうだ。もしそれを阻害するとしたら、上着へと移ったほのかな自分以外の温もりのこそばゆさだろうと考えていた。
end
ポケモン世界に北極星ってあるのかな?と思って、
その固有名詞は出さず、星座の名前も類似するポケモンに変えました。
シシコ座流星群もありましたしね。
リーダーの部屋にあった船の模型があったので天測航法が出来ると、
夢を見ました。
2016/08/12 発行
2017/06/01 サイト掲載