食事は誰かと一緒が美味しい。
整理されているようで雑然としたバックヤードに設置されたパーティションの間から、一人の小柄な人物が出てくる。
「……」
裾が黒い赤色のパーカーを着、フードを目深に被ったその人物は、誰かを捜すかのようにきょろきょろと辺りを見回していた。
「あっ! すみません! ここ、関係者以外立ち入り禁止なんです!」
そんな不審者を見つけたスタッフが急いで駆け寄り、声をかける。
ときどき、小さな子どもが入り込んでしまうことがあるが、今対峙しているのは明らかに大人。不審者と警戒して当然だろう。
「……? ボクは……」
鈴の転がるような声を紡ぎ、パーカーの人物が振り返る。手をかけてずらしたフードから覗くのは、薄紫色の髪。まさかこの人は……!と、丸くなったスタッフの目が、気だるげに半分閉じられた菫色の瞳とかち合う。
スタッフはやっとの思いで声を発した。
「もしかして……!?」
名前を呼ばれたその人物は、こくりと頷いた。
* * * * *
「R」というロゴと思しき赤い文字が描かれた封筒に導かれ、突如集められた各地方で暗躍する組織のボスとリーダー達。そこで待ち受けていたのは、彼らの招待者であり、カントーに拠点を持つロケット団のボスだった。
一癖も二癖もある彼らを前にしたサカキは、己の計画を告げた。
それは――ポケモンセンター占拠計画。
彼らの住む世界のポケモンセンターは、ポケモンの回復や便利なアイテムを売っている。しかし、いわゆる平行世界には全く違う運用をしている「ポケモンセンター」が存在し、そこを各組織が占拠するというイベントを催すのだと語った。
いきなりのことに驚きと不信感を隠さない面々に「組織運営資金のためだ」と付け足し、そのイベント内容を話し始める。
週替わりで占拠する組織を替え、全国をまわる。イベントグッズの売り上げは、そのままその時占拠している組織の資金とする。ただし、ロケット団のロゴを使用したグッズは全てロケット団が回収する。
さらに土日の一時間に一度、ボスやリーダーが姿を現せば売り上げも伸び、優秀な人間がいれば組織にスカウト……は残念ながら出来ない。あくまでそこは平行世界。自分たちの世界に干渉させてはいけない存在であると強く念を押した。
全てを一方的に話し終えたサカキから各々に手渡されたのはスケジュール表。そこに示されている期間は全六週間と、長丁場のイベントとして決定されているのであった。
さらに平行世界への干渉を最小に済ませ、尚かつ簡単に行き来が出来るよう、ロケット団で極秘開発した転送装置を人数分用意していた。
状況が飲み込めない彼らは、言われたがままイベント当日に転送装置に乗り込んだのである。
* * * * *
本日二度目の出演を終えたマツブサは、スタッフと共に店舗から続く扉からバックヤードに戻ってくる。扉が閉まるその瞬間まで、歓声のような声が聞こえていた。
「お疲れ様です。リーダーマツブサ」
「うむ」
かけられたスタッフの声にマツブサが平然と返す。
置かれている状況を把握しようとしながら奮闘した占拠計画の一週目は想像以上の盛り上がりで成功。二週目となり、やっとマツブサもポケモンセンターのスタッフ達も勝手が分かってきたような印象を抱いている。
「回を重ねる事にお客さんも増えていて、大盛り上がりですよ、リーダーマツブサ!」
「あまりはしゃぐな。まだまだ出来るはずだ。特に先週のアクア団……アオギリには負けるわけにはいかない」
「はっ!! すみません!」
「腕の角度はもう少し……こうだ」
マグマ団固有のポーズを取ったスタッフの腕を直しながら、マツブサが微かに笑みを浮かべる。
理解しがたい不思議な状況ではあるが、彼はこのイベントを少しずつ楽しみ始めていた。
マツブサにとってこの平行世界は実に興味深いものに映る。ポケモンは実在せずデータとして、ゲームの中に存在するのだという。しかし、グッズはたくさん作られ、馴染みにあるBGMが流れるポケモンセンターで売られている。
このポケモンセンターの敷地から出られないというのは残念だが、客を見ていればそれほどマツブサたちの住む世界とそう大きく変わりはないようだ。
「お昼の休憩は長めに取ってありますので、ゆっくりお休みください」
「ああ」
狭いバックヤードに設えられた専用の休憩室は、長テーブル二つとパイプ椅子が置かれただけの簡易的なもの。だが、パーティションで区切られて、人目を避けることが出来るようになっていた。声は漏れるものの、落ち着ける場所である。
「昼食は……?」
「あちらから届けると……カガリ?」
休憩室にマツブサが足を踏み入れると、正面のパイプ椅子に座ったここにいるはずのない部下を見つけた。後ろを付いてきたスタッフも、意外な人物の登場に声もなく驚いている。
「お疲れ様……リーダーマツブサ……」
だが、カガリに目に入っているのはマツブサだけだ。ゆるりと立ち上がり、いつものようにポーズを取る。
太ももを隠す長めのパーカーは彼女がボトムを履いていないように見せているが、実際はちゃんと履いている。よく見るとそのパーカーは、マツブサのジャケットとよく似たデザインだった。
「持ってきた……お弁当……」
そう言って、テーブルの上に置いてあったランチトートバッグを顔の前に持っていって見せる。
「……てっきりホムラが来ると思っていたが」
マツブサがパイプ椅子を引いてカガリの向かい側に座る。それと同時に弁当の入ったトートバッグが差し出された。
昼食の用意が必要と知った先週と同様、ホムラが弁当を作り、持ってくるものだと思っていた。
持ってくるのは誰でも構わない。だが、カガリが持ってくるに至った経緯は簡単に予測が付いて、マツブサの口元が笑みに弧を描く。
「……ほう、これはなかなか。早速頂くとしよう」
蓋を開けると広がる色とりどりのバランス良く作られた弁当を見て、思わずマツブサは感心する。
意外に思われるが、ホムラは料理に関して明るい。食べることが好きなのに乗じて、料理も嗜むのだ。どちらかと言えば、手の込んだ料理が好みらしく、作りがいがあると語っていた。
マツブサとカガリも何度か彼の料理を食べたことがあり、今でもたまに食堂で作っている姿が目撃される。
「いただきます」
マツブサは手を合わせ、箸を取った。作りたての弁当はまだ温かい。
「お茶……」
「ああ、すまない」
弁当と共にカガリが持ってきた水筒の中身を紙コップに注ぎ、そっと差し出す。保温機能付きの水筒に入っていた緑茶は、たった今入れたかのように湯気を立てていた。
「……」
「……」
水筒を両手で握りしめたままカガリはじっとマツブサの食事する様子を見つめる。
それは、心底慕うマツブサの一挙手一投足を余すことなく、目と記憶に焼き付けたいからなのだが、見られているマツブサとしては、落ち着かないことこの上ない。
一度気になってしまうと、どんどんそちらに気がいってしまい、おかずの味も分からなくなり始めた。
「カガリ、お前は食事を済ませてきたのか?」
問われたカガリは横に首を振る。
「ううん……。お弁当……温かいうちに……届けたかったから……」
ホムラがお弁当を詰め終え、出かけようと転送装置にやってきたところにカガリがいた。
元科学者の彼女は、時空を越える転送装置の技術に興味を持ち、マツブサが持ち帰った後から観察していたのだ。どのような技術が使われているか不明であり、破損した場合の修理も出来ないため、本格的に調べるのはこのイベントが終わってからと、マツブサに釘を刺されている。
彼の持ち物から、よくわからないイベントに巻き込まれたリーダーの所に行くのだとカガリは察し、自分が行きたいと進言した。
出向くのが自分たちの世界でない平行世界ということもあり、ホムラは一度断ったのだが、彼女がマツブサに関することで引くわけがない。
諦めたホムラはトートバッグを手に転送装置に乗り込もうとするカガリへ口を酸っぱくして言い聞かせた。
ポケモンセンターの敷地内でも無闇に出歩かないこと。あちらのスタッフに迷惑をかけないこと。全てがリーダーの評価につながるのだと言って、彼女を送り出したのである。
「そうか」
頷くマツブサには、二人がやりとりする光景が目に浮かんでいた。
正午も過ぎ、十三時に近い。いつもなら昼食を食べ終えている時間だ。このまま待っていては、カガリもお腹を空かせてしまうだろうと考える。
「カガリ」
向かい側の部下の名前を呼び、箸で摘んだシソ巻きの卵焼きを差し出した。
「?」
その意味が分からず、カガリは首を傾げる。
「口を。少し食べていきなさい」
「っ!? で、でもっ……!」
「私には少し量が多い」
さあ早く、というように更に近づけられる卵焼きにカガリが戸惑う。
これはマツブサのために作られたお弁当。それを自分が食べていいのだろうか。しかし、彼に直接食べさせてもらうという、貴重な体験を逃すのも嫌だ。こんなこと、この先ありはしないだろう。
「あ……うぅ……」
様々な葛藤と逡巡の末、カガリはテーブルに身を乗り出して顔を近づけ、小さな口を開いて、
「はむ」
食べた。
リーダーの手で食べさせてもらう喜びと、どうしてこうなっているのだろうという混乱が、思考と味覚の機能を喪失させていた。
「うむ」
満足そうなマツブサが箸を戻し、自らの口へとおかずを運ぶ。多いと言ったのは事実で、彼もそれほどたくさん食べる方ではない。
マツブサ自身も食べ進めながら、カガリが飲み込んだのを見計らって新しいものを差し出す。サイコロステーキ、ミニトマト、ごま塩のかかったご飯……など、バランス良く少量ずつ。
与えられるがままカガリも口を開くため、いつしか小鳥の雛を餌付けしているような気分になっていた。
「ご馳走さまでした」
「……さまでした」
二人で食べ終えた弁当箱の蓋を閉め、トートバッグへと戻す。それを未だ頬を紅く染めているカガリが自分の手元に引き寄せた。
カガリに分け与えたと言っても、マツブサが普段食べる量より大分多い。それが何故、食べ切れたのだろうかと、ふと疑問に思う。
「食後のお茶……どうぞ……」
「ありがとう」とカガリへ礼を言い、注ぎ足され湯気を立てる紙コップを手に取る。
「美味しかったか?」
「……ん」
こくりと頷くカガリを見て、マツブサは理解した。
忙殺されていた日常から離れ、イレギュラーなところに放り込まれた結果、忘れていたことを思い出せたのだ。
温かいお茶に息を吹きかけてから、マツブサは一口飲み込む。そして、さらりと告げた。
「カガリ、明日も来るのなら自分の分も持ってくるんだ」
「はい……?」
顔を上げて、首を傾げるカガリ。
「一人で食べているとどうも味気なくてかなわない。待っているのなら、ここでに食べれば時間の無駄にもならないだろう。ああ、あとホムラに美味しかったと伝えてくれ」
そう一気に言うと、照れ隠しにもう一度紙コップを傾けた。
半ば反射でカガリが頷いた後、その意味に気がついてぱっと表情を変える。
マツブサが気にかけてくれたことが嬉しい。それに、食べさせてもらったの上に、共に食事をするように誘われたのだ。思わず胸が高鳴る。
「はい……! はい……!」
嬉しそうなカガリを横目で見、微笑ましく思う。それと同時に、己の心の弱さを自覚した。
今日は誰かと一緒に食事をしたから、楽しく食べられたのだ。
先週のホムラは持って来た弁当をマツブサに渡すと、店舗を見に休憩室を出てしまい、結局一人で昼食を摂った。世界線すら違う、素知らぬ場所でする一人の食事に、多少の違和を感じていたのだ。
だがサブリーダーである彼には、このようなこと口が裂けても言えない。言えるのはおそらく、自分を慕う長い付き合いのこの少女だけだ。
「マツブサ様、あと十分ほどで午後の部、始まりますー」
スタッフがパーティションから顔を覗かせて声をかける。
「……リーダーマツブサ、ファイト……!」
「ああ」
カガリからの激励にマツブサは自信たっぷりに頷いてみせた。
「完食ですか! ウヒョ、嬉しいですね」
ホムラはカガリから受け取った弁当箱を開けると、持った感覚どおり空っぽになっていた。やはり、完食して貰えると作った当人としても嬉しい。先週は少し残っていたため、全体的に少し減らしたのが正解だったのだろうか。
「美味しかったって……」
「ありがたい言葉ですねぇ」
ホムラはしみじみと言った。
最初は調理担当のしたっぱに弁当を任せようとしたのだが思い直し、バランスを考慮しながらホムラ自ら献立を考えた。数十分とは言え、一時間ごとに大勢の前に立つのだから体力をつけないといけないだろう。
明日は何を作ろうかと考えていると、くいくいっとジャケットの裾を引っ張られた。そちらを向けば、ほのかに頬を染めているカガリがいる。
「お弁当……ボクのも……作って? 明日の……」
「ほむ? ……ははぁ、なるほど……。いいですよ。腕によりをかけて作らせてもらいましょう!」
カガリの様子にマツブサの意図が読めた。それならそうと言ってくれればいいのにと、ホムラは思うが、そんな弱みを彼は見せないだろう。彼女だからこそ警戒心を緩めてみせるのだ。
平行世界の運用というまるで魔法のような奇蹟は興味深いが、イベントは始まったばかりで、ホムラが体験する機会はまだあるはずだ。
今回はこの期待に満ちた目を曇らせぬよう、応えようではないか。僅かな時間であれど、マツブサとカガリが楽しい食事を過ごせるように。
「……♪」
ホムラの快諾を得、カガリはマツブサとの食事の時間を夢見ながら、明日を心待ちにするのだった。
end
2016年にあったポケモンセンター占拠計画のお話です。
メタ的な部分も含めてどうにか調整……出来てるでしょうか。
お弁当を持っていくカガリ様と
カガリ様に「あーん」するマツブサ様が書きたかったのです。
2016/12/30 発行
2018/01/19 web公開