この夢の住人に憐れみを
「ああ、アッシュ君」
いいところにいた。というように、小走りでスマイルが近寄ってきた。
「何スか?」
「うん、あのね。最近変な夢見ない?」
「夢ッスか……」
少し考えてみるが、変な夢以前に、ここ最近夢を見た記憶はない。
「だだっ広い平原にたった一人で座り込んで、花を摘んでいる。そんな夢、見てない?」
スマイルはやや具体的なイメージを言ってきたが、やはり記憶になかった。
「いいえ? 見てないッスけど」
首を一度横に振る。
「そうか〜。じゃあ、見たらそこにいる彼に鍵をちょうだいって言ってくれる?」
「は?」
「今はそれだけでいいや。じゃあね」
言うことだけいって、スマイルは立ち去った。
話に置いていかれたように、俺もこの場に置いていかれてしまった。
なんだここ。やたら広い平原……。もしかして、ここがスマイルの言っていた夢か?
なら、誰かいるはず。その人に「鍵」をもらわなきゃいけないんッスよね。
あ、あそこ。人影がある。
「あの、すみません」
座り込んでいる人に声をかける。
この後ろ姿を何処かで見たことがあるような気がしていた。
「……え?」
その人物が振り返り、顔を見た瞬間、この空間に亀裂が入った。
「は……!」
振り返った人物は間違いなく、自分であった。
「あ、スマイル!」
「なーにー? ボク、こう見えても忙しいんだけど」
確かに今は忙しい時期だ。しかし、彼が気にしていた夢を見たことを伝えなければならないだろう。
「あの夢を見ました。やたら広い平原の夢」
「本当? 鍵もらえた?」
目をきらめかせて、「鍵」について聞いてくる。
「いえ、声をかけたらすぐ目が覚めちゃって……」
表情が微かに曇る。ひどく残念そうに彼は言った。
「そっか。じゃ、鍵もらえるまで頑張って。でも、ボクの名前は絶対に言わないで」
そして、さらに印象的な言葉を口にする。
「貰えるものも貰えなくなるし、多分、キミですらそこに行けなくなる」
柔らかく、明るいその夢にまたたどり着けた。
「また来たんすか?」
今回は目を覚ますことなく、彼と話を出来るらしい。
「鍵を、もらいたいんです」
はっきりと、ここに来た目的を話す。
スマイルが欲している「鍵」が何を示しているのかはわからない。
「オレなら自由にここにこれる。鍵なんていらないはずッスよ」
彼はこちらを向かず、ひたすら花を摘み続けている。その傍らには、黒い大きな箱。
「それでも」
「誰かを連れてくるつもりッスか? ……オレが会いたいのはただ独り。それ以外はいらない」
彼が立ち上がると、強い風が二人の間を吹き抜けた。
摘まれた花が風に舞い上がり、視界を埋め尽くす。
夢から覚めるその時に見えた彼の表情は、ひどく辛そうなものだった。
「待っている人がいるみたいですよ」
休憩時間に報告をする。
「……そう。で、鍵は?」
考えるような仕草を見せ、やはり「鍵」について聞いてきた。
「ダメでした。どうしてそんなに鍵にこだわるんすか?」
率直な質問。スマイルがそれを欲している理由がわかれば、彼を説得できるかもしれない。
「伝言をね、頼まれてるんだ。でも、鍵がなきゃ彼に会えない」
「彼はオレの夢の中の住人ですよ?」
「だから、鍵が必要なの」
夢を見られるほどの睡眠がとれない日々が続いていた。
仕事に区切りがつき、ゆっくりとした状態で眠った今日、また、あの夢にたどり着いた。
「しつこいッスね。何度来ても渡さないッスよ」
彼は明らかに自分を警戒している。
その警戒を解かない限り、「鍵」の交渉は出来ないと考え、違う話題をふることにした。
「いや……。鍵のこともそうなんすけど、それ、気になってたんッスよ」
あまりにも印象深い大きな黒い箱。それはこの平原にひどく不釣り合いだと最初に見たとき、思ったのだ。
「……」
彼は答えない。
「棺桶、に見えるんですけど、違いますか?」
大きさ的にも、それ以外有り得ないのではないか。第一、棺桶は腐るほど見ている。何てったって、それを使っている人物がすぐ近くにいるから。
「……傷つけたまま、もう会えなくなった人が眠ってる」
聞き取れないくらいの声。
「最期の最期で突き放されて、裏切られた気になって、酷い言葉を投げつけた。謝ることすら許さず、彼はたった一人で逝ってしまった」
それは懺悔に聞こえた。
「出来るなら、謝りたい。約束を一方的に破ってしまったから」
今にも泣き出しそうな表情で、棺桶に触れる。
同じ顔−−−同一人物だからか、彼の痛みが自分にも伝わってくる。
「あなたに会いたいといっている人物は、誰かから伝言を預かっているって言ってました。もしかしたら、その人からの伝言かもしれないッス」
これには自分の希望も含まれていた。
彼を−−−辛そうな自分を−−−解放してくれる、伝言をスマイルは持っているのかもしれない。名前さえ言わなければいい。「鍵」を手に入れてしまえば、こちらのもの。
「伝言……。……わかった。鍵を……」
あれだけかたくなに拒んでいた「鍵」を渡してくれた。
もしかしたら、彼も伝言に救いを求めたのかもしれない。
「鍵、貰えました。けど、どうやって渡せばいいッスか?」
珍しく朝からリビングにいたスマイルを捕まえて、夢の話をする。
当たり前だが、夢の中でもらった鍵は現実には存在していない。もらった後のことを一切聞いていなかった。
「さすがだね。じゃあ、手を出して。もらった鍵の形を思い浮かべて」
言われたとおりに手を出すと、両手で包み込まれた。ひんやりとするスマイルの手の平。
こうやって触れられたことは初めてなので、顔に熱がこみ上げてくる。それを首を振ってやり過ごし、「鍵」の形を必死で思い浮かべた。
「……! ……確かに受け取ったよ」
手が離れる。
「あのっ!」
「頃合いを見計らって、行くからねー。ありがとう!」
嬉しそうにスマイルはリビングから出ていってしまった。
自分の役目はここで終わった。
しかし、スマイルが託された伝言と、後悔し続けている彼がどうなるのか気になって、そのことがずっと頭の中で回っていた。
その日の夜。
「鍵を渡したんすね」
また彼の夢にやってこれた。
「はい。頃合いを見計らってくるとか何とかいってたッス」
「そうッスか。一体誰が来るんだか」
彼の声には不安と期待が入り交じっていた。自分の心情もまさにそれ。スマイルは間違いなく今日、ここにやってくる。
彼と自分、二人以外の気配がしてふりむいた。そこには、
「こんばんわ。早速来たよ、アッシュ君」
予想通りの人物がいた。
「なっ!」
彼は目を見開き、摘んだ花を落としてしまう。
「何で……あなたがここに……」
驚く彼と対照的に、スマイルは笑顔をたたえたまま、黒い棺桶を指さした。
「そこの彼に伝言を頼まれたんだ。アッシュ君に頼んでも良かったんだけど、別人でも彼と同じ姿を持ったボクが言った方がいいんじゃないかと思って、鍵をもらったんだ」
スマイルが一歩近づくたび、彼は半歩後ずさる。
「ボクの名前を聞いたら、アッシュ君ですらここに来させなくしたんじゃない?」
彼の表情は恐怖に引きつっているように見えた。開かれた唇は、何かを呟いているように動いていた。
「もう一度会いたいと願っていても、やはり実際会うことは怖いだろうからね」
おぼつかない足は微かな出っぱりに引っかかり、その場に座り込むように倒れた。しかし、目線はスマイルを見たままはずすことはない。
「まぁ、その辺はいいや。じゃあ、伝言」
座り込んでしまった彼と目の高さをあわせるようにしゃがみ、口を開いた。
「少なくとも、キミと過ごした時間はボクにとってかけがえのないものだった。静かに最期を待っていたボクはキミに救われた」
それは、自分の望んでいた伝言だった。
約束を守ることが出来なかった後悔をぬぐい去ってくれる、救いの伝言。そのはずなのに、彼はその言葉すら恐ろしいというように叫んだ。
「けれど! けど……。オレは貴方と約束しました。最期まで側にいるとっ……」
「これはボクの間違いだったね。解放するために突き放したのに、逆にもっと捉えてしまった。この約束は元から叶わないものなんだよ」
すっと腕を伸ばし、優しく彼を抱きしめる。
「もう許してあげて。キミは十分苦しんだ。これ以上、ボクに囚われることはない」
恐る恐る彼の腕がスマイルにまわされる。
「……キミはちゃんと約束を守って、もう一度ここに連れてきてくれた」
「貴方が……ここで眠りたいと、言っていたから」
流れ込んでくる彼の感情と記憶。
過去に一度、スマイルを連れてこの平原に来た。スマイルはえらくここを気に入り、「ボクが死んだら、ここへ埋めて」と言っていた。せめて、この約束だけは守らねばならない。と、彼はここにスマイルをもう一度運び、居続けた。
「うん。キミが出来ることはこれでお終い。ここにボクを埋めて、キミはあの人の元に帰る。ああ見えても、あの人は寂しがりで嫉妬深いからね。そろそろ帰らないとボクがもう一度殺されかねない」
「……そうっすね」
いつの間にか、彼の恐怖感はなくなっていて、優しい笑顔でお互いを見つめていた。
スマイルはもう一度彼に抱きつき、強く抱きしめた。
「ありがとう。幸せなまま、ゆっくり眠れそうだ」
その背中を彼は愛おしげに撫でた。
「オレが貴方の眠りを妨げてたんすね……、ごめんなさい。ゆっくりと休んでください」
そこまで聞いたところで、夢から覚める感覚に襲われた。
多少驚きはしたものの、彼らの幸せな表情を、彼の救われた姿を見ることが出来て良かったと思えた。
最後の瞬間、スマイルと目があい、その唇が何か言葉を紡いでいた。
−−−キミたちには迷惑をかけたね。ありがとう、ボクの願いを叶えてくれて−−−
「っっわ!!」
有り得ない人物が隣にいることに気がついて思わず叫ぶ。
え?何でここにいるんすかっ!?
「ん〜……ぁ〜あ……おはよう?」
眠たげに目をごしごしと擦りながら、ぼんやりと答える。
「おはようございます。って! 何で一緒に寝てるんですか!!?」
「えー、だって、鍵もらっても、その夢の持ち主に触ってないと入れないしー……」
語尾がどんどん小さくなっていって、このまま再び眠りにつきそうだ。
「寝ないでくださいって!!」
「いいじゃん〜。もう少し眠らせてよぉ〜。さすがに疲れた……」
焦る自分をよそに、スマイルはもう一度眠りに落ちてしまった。
確かに、疲れているような顔をしているし、起こすのも忍びない。一つ溜め息をついて、布団をかけ直した。
まだ起きる時間でもないし、ゆっくりと眠れるだろう。
後で聞くと、彼らは「平行世界」の自分たちらしい。
あの世界のオレは、あの世界のスマイルと約束したことを果たせず、一人で逝かせてしまったことを後悔していたという。それを見かねた、あちらのスマイルが伝言を託し、オレから鍵を得てあちらのオレと会おうとした。
実際、鍵を使って夢の中に入ってきたのは、スマイルではなく、伝言を託したあちらのスマイルなのだそうで、スマイルは媒介になったにすぎなかったようだ。
「後悔を残さないで逝くっていうのは難しいんだよね」
彼は寂しそうにぽつりと零した。
「それでも、彼らはその想いを昇華できた。幸せになれたと思うッス」
この言葉に驚いたようで、その紅い瞳で見上げてきた。「ん?」と、少し首を傾げると、にこりと笑って、
「そうだね」
と、言った。
死してなお、思い続けてくれる存在がいるのはとても幸せなことだけれども、囚われすぎてはならない。
それは、残った方も逝った方も幸せになどなれない。
振り返り、懐かしむことが安らかな眠りに、救いになる。
囚われるなかれ。捉えるなかれ。
想いの昇華は時が統べる。
−−−この夢の住人に憐れみを−−−
end
いつぞや書いていた「FINALE」シリーズを少し絡めたお話です。
「FINALE」はオリジナル設定のアスユリ←スマ話。
スマさんは不治の病にかかってて、アッシュ君は家政夫。
ユーリさんは家主。
「創作」の完全フィクション詩に置いてある
英語タイトルの詩が「FINALE」シリーズです。
よろしければ、合わせてどうぞ。
少しスランプ気味なようで、言葉が全然見つかりませんでした。
これからも精進。
なんだか上手く落ちていないのは気のせいではなさそうです。
2006/04/09