DEVOTION
カガリはこの姿のマツブサを見ることが好きだった。
いつもきっちりと整えられている赤色の髪は緩やかに下ろされ、メガストーンを埋め込んだメガメガネではなく細身のフレームの眼鏡をかけている。
普段とは違う彼を間近で堪能出来るのは自分一人だけ――と、心地よい優越感にひたりながら柔らかなベッドの上で微睡んでいた。
ここは、マグマ団のアジトの最深部に作られたリーダーであるマツブサの自室。二人は並んでベッドにいるのだが、横になっているのはカガリだけ。彼女が眠りに落ちる直前までは、マツブサも一緒に寝ていた。だが、先に目を覚ました彼はベッドボードに寄りかかり、傍らのスタンドの光を頼りに書類を見つめていた。
スタンドのほのかな明かりでは見づらいのに、部屋の照明を点けないのは、眠っている隣人を気遣ってのこと。心が優しさに触れたのと同時に、直接触れたい衝動がカガリに湧き上がってくる。
今であれば許されるかも知れない。顔のすぐ横にあるマツブサの太ももにカガリがそっと頭を寄せると、書類から外された視線がそちらに向けられる。
「ん? 眩しかったか?」
上目遣いで見つめるカガリにうっすらと微笑んだマツブサは、毛布を彼女の頬が隠れる程まで引き上げた後、頭をそっと撫でた。
大地の化身である超古代ポケモングラードンを目覚めさせ、大地を増やし、さらなる進化のステージに人類を押し上げるという壮大な計画――プロジェクトAZOTHの実現のためには、少しの時間すら無駄に出来ないと彼は考えている。
時間が空けば報告書などに目を通すことに充て、今も再度眠気が訪れるまでそうするつもりであった。照明も隣にいるカガリに配慮していたのだが、貴重な睡眠の邪魔してしまっただろうか。
「ううん……」
カガリはゆっくりと首を横にふる。顔は太ももに近づけたままで、まるで頭を擦りつけて甘えているような仕草になった。
「リーダーマツブサ……渋い顔……してる……。なにか……あった……?」
まだ眠気を含む、ぼんやりとした口調でカガリは言い、手を伸ばす。
横になりながら見上げていた端正なマツブサの横顔。照明の直接的な光は彼の身体が遮っている。そのため、眉間に刻まれたしわの影がより深く濃く見て取れた。
「ああ……。どうやら良からぬ輩が紛れ込んでいるらしい」
求めるように宙に伸ばされていた手をマツブサは取り、さりげなく手の甲に指を沿わせてから毛布の中へと戻す。部屋は空調がきいていて快適な温度を保っているが、何も纏っていない肌はどうしても寒そうに思えた。
「良からぬ……?」
「少し前に入ってきたしたっぱの男なのだが、不穏な動きをしているようだ。そいつと親しくしていたしたっぱ数人と研究員がマグマ団を離れている」
マツブサが見ていたのは、調査を命じていたしたっぱからの報告書である。
先月末、マグマ団の人員管理も担当している幹部のホムラから、団員の人数についての報告を受けた。もともと一般のしたっぱは毎月数人程度ずつ増減を繰り返しているのだが、連続して減少しているという。直近では、その中に技術力を持った研究員も含まれているとも付け加えた。
それと同時期、直接リーダーへ報告したいというしたっぱとマツブサは対面した。相対を希望していたにも関わらず、緊張した面持ちのしたっぱは、「あるしたっぱと親しげに話していた人ばかりが、マグマ団を辞めている」と伝えた。このしたっぱが該当する人物に接触し、それとなく探りを入れたのだが、問題の人間は相手を選んでいるようで、話をはぐらかされてしまったと言う。
この二つの報告に何らかの因果を感じたマツブサは、隠密行動を得意とするしたっぱに調査の指令を出していた。そうして、本日受け取った報告書には該当の男性したっぱが人材流出に一枚噛んでいる可能性があると書かれていた。
「……」
「せっかく集めた優秀な人材を、素性も分からぬ人間に横取りされるのは好ましくない。それに……」
「許されない…………マグマ団の……リーダーマツブサの……崇高な理想を……邪魔するのは……」
カガリはマツブサに続けて言葉を発し、両手をベッドについてのそりと上体を起こした。滑らかな肩から毛布が滑り落ち、適度に締まったウエスト付近で引っかかる。
「そうだ。我々は斯様なことで立ち止まるわけにはいかない」
マツブサはカガリに顔を見ながら力強く頷く。
目的不明の不穏分子が元々一人といえど、こちらの人材が削られているのは変わらない事実。マグマ団はまだ発展途上であり、人海戦術に頼りがちだ。人手は常に必要で、特に能力の高い人材を引き抜かれてしまったら、マツブサの一寸の狂い無く立てた計画の遅れが危惧される。
「リーダーマツブサ……。……それ……任せて……ボクに……」
カガリはそう進言した。先程までいつも以上に気だるげだった菫色の瞳には、心底敬愛するリーダーを邪魔する者への怒りの炎がゆらり、灯っている。
マツブサの理想を妨げる存在はどんなことをしても排除する――そんな慕い方は止めろと、以前ホムラに苦言を呈されたことがある。マツブサはカガリにそんなことを望んでいないと言われたが、ホムラはホムラでマツブサではない。他人に彼の心や考えが分かるはずがない。
故にカガリは自分の思考で動く。自分を救い、側に居ることを許してくれる恩人の役に立つために。
「カガリ」
そんなカガリのはやる気持ちを諫めるようにマツブサが名前を呼ぶ。
「不穏分子と……いなくなったしたっぱたちの……調査……。……いい……? ……新しい……ミッション……」
「カガリ」
マツブサは再度彼女の名前を呼んだ。先程よりも強く。
落ち着かせようと見つめる灰色の瞳を見据えたまま、紫色の瞳の女性はなおも食い下がる。
「リーダーマツブサの……手……煩わせない……だいじょうぶ……」
目の前にいる彼女から発せられる感情の延焼を遮断するため、マツブサは目を伏せた。
もとよりこのまま、隠密行動を得意とするしたっぱに調査を続けさせるつもりだった。不穏分子を放置しておけば、マグマ団の存続を脅かす由々しき事態に発展しかねない。相手の情報と裏付けを収集し、しかるべき時に判断を下す心づもりだった。
だからこそ、幹部であるカガリを今動かす程の事案であるかと、思考を巡らせる。
しばらくして、一つため息をついた彼は目を開く。
「……ふう、わかった。この件、お前に一任しよう。だが、けっして深追いはするな。あちらの目的が不明である以上、お前の身に何かあったとしても助けることが出来ぬかもしれない」
困ったように眉根を寄せ、仕方ないと微笑んだマツブサはカガリの頭に手を置いた。
結局、彼が折れる形となる。普段は感情の起伏の少ないカガリがこうなってしまったら、てこでも動かないのは、これまでの付き合いから理解している。
骨張った手で顔にかかる柔らかい髪ごと頬を包み込めば、怒りの感情は飛散してしまったのか、すっかり大人しくった。瞳で燃えていた炎も既に消えている。
「……ん……」
カガリが上体を支えていた腕の力を抜いて身体を倒し、肉の薄いマツブサの太ももの上に頭を乗せた。
あやすように背中をさする優しい手のひらに再度眠気が引き寄せられ、カガリの瞼は自然と閉じたのだった。