◆episodeT
ミナモシティ沖合いにある島をまるまる一つ使ったマグマ団のアジト。島の外観に反してその内部は広く、大がかりな実験設備がいくつも存在する。
それらはリーダーであるマツブサの掲げる理想――大地を増やし、人類を新たな進化のステージへ押し上げるプロジェクトAZOTH実現のために用意されたものだった。
人工的にべにいろのたまを完成させるまでには至らなかったものの、メガシンカに必要なキーストーンを作り出し、グラードンとのコンタクトに備えたマグマスーツを開発していたりと、マグマ団の技術力は高く、計画完遂への成果を上げていた。
しかし、彼の理想はそれを実現するべく復活させた超古代ポケモンにより打ち砕かれる。
ゲンシカイキさせずとも発揮される大地を焼き尽くすグラードンの力は想定を遙かに超え、人類の発展は愚か、再生すら許されない世界の終焉を垣間見た。
世界を滅ぼしかねないこの事態を解決したのは、幼い一人の少女だった。だが、それを知るものたちは誰一人としてその勇姿を語ることはなかった。彼女の穏やかな日常を守るために。
一件を経て、掲げていたプロジェクトAZOTHが間違いであったと受け入れたマグマ団の指導者は、自らの組織の方針を大きく転向させた。異なる思想や見知らぬ思想を受け入れ、理解する努力をし、全ての物と共生する道を選んだのだった。
今では、敵対していたアクア団や技術の盗用を企てていたデボンコーポレーションとも協力をし、ホウエン地方を更に発展させていくために尽力している。
具体的には、エネルギー干渉を施し、物体を変質させる設備により積み重ねたノウハウを有効活用できないかと模索している最中である。
そんな役割を替えようとしている設備の前で、マグマ団のトップ二人は談論を交わしていた。
不意にホムラが資料から顔を上げ、辺りを見回す。何らかの匂いを感じ取っているのか、僅かに鼻の頭が動いている。向かい合っていたマツブサもその仕草に気がつき、視線を彼へと向けた。
「なにやら甘い香りがすると思ったら、アナタでしたか」
実験により被害が出ないよう仕切られた実験施設の入り口に、もう一人のマグマ団幹部の姿を見つけたホムラが声をかける。
「……ただいま」
白いビニール袋を手にしているカガリは、二人にゆっくりと近づく。フラフラと不安定に身体を揺らす独特の歩き方で。
「はい。おかえりなさい」
「おかえり。今日は出掛けていたのだったな」
「はい……! きのみ……ハルカと一緒に……採ってきた……」
マツブサがふっと表情を和らげると、カガリも微かに笑みを浮かべて手に持っていた袋を開けて見せた。すると、ふわりと甘い香りが周囲に広がる。
ビニール袋の中には大小様々な形のきのみが入っていた。あまり見かけない珍しいきのみがほとんどで、上の方にある熟したモモンのみやオボンのみがフルーティな香りを放っている。ホムラが感じ取ったのはこれらの香りだ。
カガリは今日一日オフであり、ハルカと共に123番道路にあるきのみ畑に赴いていた。そこで植えていたきのみが収穫時期だから一緒に行こうと、数日前に顔を出した彼女に誘われたのだった。
ハルカは野望を打ち砕いた組織の行く末を案じているのか定かではないが、たびたびアジトを訪れている。明るい雰囲気をもたら彼女の訪問をマグマ団は歓迎していた。
世界を何度も救った英雄の片鱗など一切見せない年相応に無邪気な少女とカガリは交流を深め、連れ立ってよく遊びに行っている。任務以外では出かけることのなかった部下の戸惑いつつも、まんざらでもない様子を見、急ぎの任務がない限り容認していた。
「これまたずいぶんとたくさん採ってきましたねぇ」
「なにかに使うのか?」
戯れに穫ってきたというには多すぎる量に、マツブサが問いかける。きのみはポケモンバトルや料理に使われるが、それらと結びつかないカガリがこれほどのきのみを何に使うのか想像が出来なかった。
「…………ポロック……作ります……」
「ほう!」
ぽつり、カガリから呟かれる言葉。それにマツブサが相づちを打つ。
ポロックとはきのみから作られるポケモン用のお菓子だ。主に、コンテストでポケモンのコンディションを整える事に使われている。故に、コンテストに出場するときには必須のアイテムと言えよう。
「ナルホド! ポロックとなると、またコンテストライブに出るので?」
「ん。……ハルカ……言ってくれたから……。また……ボクたちのこと……見たいって……」
うつむき加減にままカガリは頷いた。金色の角の付いたフードと前髪に隠れた頬は僅かに赤く、照れている様子が見て取れた。
意外にも思われるが、カガリと唯一のパートナーであるバクーダは、コンテストライブのうつくしさ部門でマスターランクに属している。だが、コンテストには偽名で登録しており、出場する際のカガリは長いヴェールで頭と顔を覆い、正体を一切明らかにしていない。
彼女がコンテストライブに出場してマスターランクに辿り着いたのには、単純であり複雑な経緯があった。
改めてマツブサにカガリの魅力を気づいてもらうため、ハルカがコンテストライブの出場を勧めたことがそもそも始まりである。
ちょうどその頃、コンテストスターたちによる特別興行が予定されていて、コンテストでも活躍しファンも多いハルカにも出演依頼があった。彼女はこの興行にカガリも出演させようと、コンテストアイドルであり広告塔のルチアと興行責任者のミクリに相談をした。ところが当然ながら、大切な興行に全くの初心者を出すわけにはいかず、彼が出した出演条件がハイパーランクでの優勝。
ハルカやルチアの協力、カガリ自身の努力で出された条件を短期間でクリアし、同時にマスターランクへと到達した。
コンテストライブに出場していることをマツブサやホムラに秘匿するため、また目立つことを彼女自身が嫌ったために、偽名のヴェールを被ったミステリアスな参加者が出来上がったのだ。
他地方のジムリーダーやコンテストスターが正体を隠して出場することもあり、他の出場者がその正体を知ったとしても口外しないことは暗黙の了解になっている。だからこそ、彼女の秘密も最後まで守られたのだった。
特別興行も成功し、マツブサにカガリたちの新たな魅力を披露することも出来た。密やかな目的を達した彗星のごときコンテストスターは、そのままひっそりと舞台から姿を消した――かと思いきや。彼女はコンテストを気に入ったらしく、今でも稀に参加していた。
「滅多に現れないアナタのことを心待ちにしてるファンもいますからね。それは楽しみですな」
ホムラは頷きながら言う。
コンテストライブに明るい彼も、バクーダをパートナーにするコンテストスターがカガリだと最後まで気づくことが出来なかった。それでも、トレーナーの神秘性、ポケモンの披露する技の構成などクオリティの高いパフォーマンスをステージで見せる参加者であると注目していた。出場する度にファンを獲得していった事も知っている。
今では滅多に現れないという貴重性が増して、本人のあずかり知らぬところで人気が上がっていた。
「……? リーダーマツブサ……?」
きのみを眺めながらなにやら思案しているマツブサへ、カガリが首を傾げながら話しかける。
「カガリ、ポロックはどのようなきのみでも作れるのか?」
「? ……はい……」
「ふむ」
視線をきのみから外さずカガリへ質問を投げた後、僅かに戸惑いを含んだ回答をマツブサは得た。すると彼は口元を触っていた手を外し、カガリと目を合わせた。
「今から作るのであれば、私も同席させてもらっても構わないだろうか。ポロック作りにいささか興味がわいた」
◆episodeU
マグマ団のアジト、その最奥にあるマツブサの部屋に組織上層部の三人が揃っていた。しかし、特段一緒に作業をしているわけではなく、各々がそれぞれの仕事をこなしている。
外部企業と共同で進めているプロジェクトの書類承認や確認などを終えたマツブサは、メガメガネを外して目頭を押さえる。ややぼやける視界の中、机の引き出しからクリアファイルを取り出した。
「……」
メガメガネをかけ直し、クリアファイルに収められた紙とカレンダーを交互に見る。その後、ちらりと視線を女性幹部の方へ向けた。
カガリはマツブサがいる広いテーブルの対面で、確認後に溜まっていた資料やレポートを内容の種類ごとに分類している。これらは後ほど資料室へと運び、指定の期間保管することになっていた。
黙々と作業をする部下に話しかけようとして、次の瞬間ぐっと口をつぐむ。近くでタブレットをいじっているホムラに気づかれないように短くため息をつき、もう一度視線を手元にあるファイルへと落とした。一つのローテーションのようにカレンダーを見てから顔を上げる。
そうして、意を決したように小さく頷き、マツブサはついに言葉を発した。
「カガリよ」
「……は」
呼びかけられたカガリは資料を手にしたまま、マツブサを見た。紫色の瞳と灰色の瞳がテーブル越しに正対する。
「来週末にある休日、共に出掛けないか?」
あまりに唐突なマグマ団リーダーの発言に、その場にいた全員が動きを止め、部屋に静寂が訪れる。
マツブサとカガリは互いを見つめたまま、ホムラは驚きのあまり細い目を見開いて二人の方を向いていた。
「…………? っっ……!!?」
マツブサの言葉を処理できずにいるカガリの手から書類が滑り落ちる。書類の束はクリップが外れて未処理の書類と混ざり、床に音を立てて広がってしまった。
「はぁっ!? って! ああっ書類がっ!!」
紙擦れの音で現実に戻ったホムラが慌てて跪き、書類をかき集める。
しかし、落とした当人は書類を手に持った姿勢のままで、未だ固まったまま、何度もぱちぱちと目を瞬かせている。
「私の休日を移動してお前と休みを合わせよう。この日は外部に関わる用事は入っていなかったはずだな、ホムラ」
「ほむっ!? ……えっ、ええ! その日なら何ら問題ありませんし、そもそもわりとアナタは休日を移動させてるんで、いつもどおりと言うか……!」
散らばった書類をひとまず一まとめにし、テーブルに置いたホムラが立ち上がる。丸い身体を揺らしながら、マツブサの傍らへと歩み寄った。
マツブサが指し示すカレンダーの日付は、なんの用事も入っていない。
ホムラは自身の予定は当然ながら、マツブサとカガリ二人の予定もしっかりと把握している。
マグマ団の上層部はリーダーのマツブサとチーフサブリーダーのホムラ、幹部のカガリで構成されている。この三人のうち、誰かは必ず出勤するように独自シフトが組まれていた。だが、カガリはそのシフトもあってないようなもので、マツブサも仕事に影響がない程度に休日を動かす事があるため、実質ホムラがバランスをとる形となる。
「っっ! ……リーダーマツブサがボクと……!? は……っ!! ホムラも……一緒……? もしかしてっ……?」
ようやく発言について脳内の処理を終えたカガリの時間が始動した。それでも、通常より早い口調から混乱していることが感じ取れる。なんの前兆もなく、慕っている人物から突然誘われたのだから当然のことだろう。
激しく動揺する頭の中に「二人きりで出かけるのではないのでは」という疑問が過ぎ去り、質問を投げかけた。
しかし、カガリの予想に反してマツブサは頭を横に振る。
「いいや、私とカガリ二人でだ。お前とはきちんと話をしなければいけないと考えていた。だが、お前にも都合があるだろう。無理にとは言わないが、どうだろうか」
やや身を乗り出し、机の上で手を組んだマツブサの口調は通常そのものだった。実際に誘うまでは様々な葛藤があったが、一度口にしてしまえば冷静に話が出来る。
ホムラはマツブサの隣に立ったまま、神妙な面持ちで対面にいるカガリを見た。
彼女がこの人物に親愛以上の感情を抱いていることは知っている。そんな相手に二人きりでの外出を誘われた今、どんな返事をするのか興味があった。おそらく、その答えは一つなのだろうが。
「はっ、はいっ……!! ぜひ!」
胸の前で手を握り、頬を熱に染めながらはっきりとカガリは答えた。
マツブサはその返答を聞いて満足気に笑みを浮かべ、頷いた。そっとため息をついたのは、内心緊張していたことの安心感からだ。
誘いを彼女に断られるとは思っていなかったが、やはり本人から快諾を得られれば、ほっとする。
二人のやり取りを見守っていたホムラも目尻を下げた。
新生マグマ団の方向も定まった今、この二人もようやく歩み寄りを始めるのだろうと思うと口元が緩む。
「では、詳細はおって伝える」
ほんのりと優しい雰囲気が流れ始めた室内に、場違いの騒がしい足音が響いてくる。その大きな音に三人が入り口を見ていれば、男性したっぱが姿を現した。
「失礼します!! リーダーマツブサ! ホムラ様! 実験室まで来てもらえますか!?」
廊下と部屋の境目でぴったりと直立したしたっぱは、左腕を曲げて、右腕を伸ばす、マグマ団特有のポーズを取りながら言った。
「わかった、すぐに行く」
「はい!」
指名された二人はすぐさま返答した。
マツブサはゆっくりと立ち上がり、部屋を出て行く。ホムラも彼に続こうとしたのだが、カガリの横を通りすぎる前に一旦立ち止まる。そして、一まとめにした書類を指差して彼女に指示を出した。
「カガリ、こののバラバラになった書類、直しておいてくださいね。聞いてますか、カガリィ!?」
「……リーダーマツブサから……デートの……お誘い……!!?」
経に色の頬を両手で包む、心ここにあらずの状態の恋する乙女にホムラの声は届くはずもなく、虚しく響くだけだった。