S.P.R and B


◆S. strawberry



 かさり。
 唯一の右手に吊るされたのは甘い匂いを若干放つ季節外れの品。
 一旦、部屋に置きに行くにしても、間に合わなよな。遅刻したら容赦なく減らしてくるから、あの守銭奴。
 まあいいや。行くか。



 C県支倉市。
 都心まで通勤快速で二時間という微妙な距離の地方都市。二時間もかかるなら、もうそれ快速言わくね? と思うが、世のサラリーな方々はぎゅうぎゅう詰めにされながら、摩天楼ひしめく街へと日々輸送されていく。
 支倉の駅付近はビルや店屋もあり賑わっているが、少し離れるとそれは見事な田園風景が広がっている。
 田園風景の中には小さな森が点在していて、そのうちの一つが俺の仕事場。
 大富豪迦遼(かりょう)家がかつて私有地としていた森の中に、左腕の欠けた上、オリガ記念病院帰りの人間を雇ってくれる奇特な人がいた。
 その森の近く、何もない場所に向かって市営バスが走っているわけなのだが。利用者は毎日のよう使っている俺くらい。さて、一体何を輸送していたのだか。
 迦遼さん家が手放す前に走っていたなら、自分専用バス停とか?手放した後なら……余計必要ない。

 郊外の森には悪魔が棲んでいる−−−
って信じているヤツのためか。
 ああ、確かに悪魔は棲んでいる。誰もを虜にするであろう美しい悪魔が。



 錆びて掠れ、辛うじて読める「とりののり」のバス停を後にして、森に踏み入る。
 森林浴するにもこんなところは選びたくもない。そもそも、森林浴とか興味ない。
 しばらく歩くと、目印のような背の高い街灯と正方形のコンクリート製の壁に囲まれた貯水庫にぶち当たる。
 到着。ここが俺の仕事場。
 重い鉄の扉を開けると、森の爽やかな空気とは百八十度転換して、ぞくりとした悪寒に襲われた。 左腕と共に失ったはずの「脅威」を感じる。
 ここはとても良くない場所だ。
 それでも。
 あー、未だに慣れないわ。とか半ば無理矢理思いつつ、真っ暗闇の階段を感覚だけで降りていく。 そして、また扉。

「おはよーございまーす」

 朝の挨拶は元気よくしましょう。それが良好な関係を築くコツ。
 挨拶は大切だよ。うん。
 扉の中は、西洋のお城からそのまま持ってきたような部屋になっている。
 天井全面ガラス張りで水に揺れていて、それがまさしくこの部屋が貯水庫の下と示していた。コンラストの少々きつい白黒の床は水に遮られ、穏やな光を映している。

「おはよー、アリカ」

 涼やかな声は部屋の中央に配置された天蓋付きッドの中から聞こえてくる。
 あのベッドの配置は絶妙で、真横にいかないと屋敷の主が見えない仕様になっていた。
 俺は持っていたビニール袋をソファーに置いて雇い主に近づく。
 ベッドに横たわるのは、この世のものとは思えない美貌の少女−−−ではない。惑わされることなかれ、これはれっきとした男だ。
 齢は十四、五。長く艶やかな黒髪、可愛らしいも麗しいとも言える彫りの深い顔。そして、人の持つ色ではない銀を彷彿とさせる色の瞳を持つ少年の名前は迦遼海江(カイエ)。んで、めんどいからカイエと呼び捨てにしている。もちろん許可済み。
 神様が懇切丁寧に作り上げた彼は、偶然にか故意にか人として壊されて完成した。
 カイエには四肢がない。
 介助がなければ、体を起こすことすら叶わないそんな欠陥した体。
 そこで俺の出番、というか仕事。
 俺の仕事は、朝カイエに義肢を取り付けて、夕方取り外すというのが主で、食事介護や話し相手なんかにもなったりする。
 なにかイケナイコトをしている気になるが、片腕を無くした俺でも雇ってくれる、貴重なご主人様だ。日常生活にはほとんど手がかからないから、この仕事を手放すのは惜しい。



 一年半とちょっと前、俺は左腕を「無くした」。ついでに、妹が世に言う悪魔憑きであることも判明した。
 妹に関しては、もう、たぶん、許してくれないんじゃないかなぁ。
 珍しい義肢を持っているというマトさんからの紹介で、カイエに会ったのは数ヵ月前。
 話を聞いたときは、金持ちが道楽で義肢を集めているのかと思っていた。会って確かにこれじゃ必要だし、ぴったり合うのを見つけるのにコレクショの如く集まってしまうはずだわ、と素直に感想をもったのでありました。
 義肢も金額バカにならないからなー。一生快適に過ごせるだけの資産を有しているなら、義肢に金かけられるのもわかる。
 そんなわけで、カイエ坊っちゃんは自分にぴったり合う義肢を持っているのだが、付け心地は別。今日は両足だけつけて、相変わらずベッドに寝っ転っている。



 取り付け終わったら、水をねだられ部屋の隅の冷蔵庫へ。お高いのかもしれない積み上がった地球儀がそれとなく邪魔してきたので、足でちょいちょいと除ける。
 妙に細かい細工のグラスに注ぎ、持っていくとカイエは微かに首を上げた。腕がないので、グラス支えてやる。

「で、今日は何を持ってきたの?」