陽だまりの歌




 空美町はとても田舎である。少し商店街から離れれば、田んぼや畑が広がっている。
 守形英四郎は第四のエンジェロイド、カオスを抱きかかえながらそんな道を歩いていた。この二人に特に会話はない。カオスは英四郎の肩に手を置いて、周りをきょろきょろと見回している。
 英四郎とカオスの前方から愛犬と散歩している五月田根美香子がやってきた。普段着にしているカーディガンにロングスカート姿で、強い日差しを避けるようにつばの大きな帽子を被っている。
 そのまま二人は近づき、立ち止まった。
 美香子はカオスを抱えた英四郎を訝しげに見つめてから軽く首を傾げ、頬に手を当てた。

「兄妹と言うより〜変質者と誘拐されかけてる幼女って感じかしら〜?」
「……人聞きの悪いことを言うな、美香子」

 面白いといわんばかりの笑みを見せる美香子。カオスを抱えているため、英四郎は眼鏡の位置を直すことは出来ない。
 不思議そうな表情でカオスは振り返った。

「珍しい組み合わせねぇ〜」
「カオスの歓迎会をするとかで夕方まで預かることになった」

 全ての戦いが終わってカオスをシナプスにいるダイダロスに預けたのだが、何故か落ちてきてしまったのはそれほど前ではない。
 以降、なあなあで智樹の家で暮らしているのだが、改めて歓迎会をしようとそはらが提案したのだ。そして、カオスの歓迎会なのに一緒に支度するはどうかと思い、朝食を桜井家に食べに来ていた英四郎に準備が出来るまでの数時間、カオスを託したのだった。

「こんにちは」

 カオスは見知った顔ににこりと微笑んだ。

「あらぁ、ご挨拶できるようになったのねぇ」

 挨拶は肝心と智樹に教え込まれていた。そのおかげで「おはようございます」や「こんにちは」などの簡単な挨拶は出来るようになっている。
 美香子に黒いヴェールの上から頭を撫でられ、カオスは嬉しそうに笑った。

「これからどこへ行くの〜?」
「ひとまず河原でカオスのスペックを調べようかと思っている」

 なんだかんだと全てのエンジェロイドたちのスペックを調べた英四郎にとって、カオスも例外ではなかった。第二世代のエンジェロイドということも興味を惹かれる要素だ。第一世代のイカロスたちとは、どう変わっているのだろうか。
 カオスを調べることには智樹からも許可を取ってある。

「じゃあ会長も一緒に行くわ〜。人気のないところで〜幼女と二人きりで身体測定なんて端から見て危なすぎるから〜」

 美香子はわざと「幼女と二人きりで身体測定」を強調して言い、英四郎の隣に立つ。

「ほら〜こうすれば親子に見えるでしょう〜」
「この年で子持ちと言うのもどうかと思うが……」
「何か言った〜?」
「いや、なにも」





 英四郎が自給自足を営む河原はいつも通りに穏やかだった。クマや蛇なども出没するところではあるが、それらさえなければとても良いところである。
 英四郎と美香子はテント近くに据えられているテーブルに座っている。位置的には向かい合っているが、美香子はカオスと自分の飼い犬がいる川の方を向いていて、英四郎には背を向けていた。
 カオスと愛犬はお互いに見つめ合っていた。カオスは動物をこれほど近くで見たことはなく、また犬もカオスとなじみは浅い。

「すっかり毒気がなくなっちゃったわね」
「そうだな。あの戦いが嘘のようだ」

 美香子からかけられた言葉に英四郎はパソコンから顔を上げて、一人と一匹を見つめた。
 愛は痛いものと誤解し、最後には「愛して殺して」と叫んでいた天使。第一世代の三人をたった一人で相手したほどの能力を持った第二世代。
 初めに見たときは今と同じ幼い姿だったが、再び姿を現した時には身体だけ成長していて、精神は幼いままだった。イカロスたちに戦いを挑みに来たのではなく、自分の知ったことを教えに来ただけのように思える。
 そんな戦いを忘れたかのように落ちてきたときは、元の幼い子供の姿に戻っていた。やはりこちらの姿が自然だと英四郎は思う。智樹たちといればカオスも健やかに成長出来るだろう。

「小さい子はああやって遊んでるのが自然だわ〜。会長、平和すぎるのは嫌いだけど〜、こんな和やかなのは好きよ〜」

 愛犬と追いかけっこをし始めたカオスを穏やかな眼差しで美香子は見つめる。英四郎もそれに頷いた。
 ぱしゃぱしゃと跳ねる水の音が響いている。その時、ばしゃんと大きな音がした。カオスが足下の石につまずいて転んだのだ。

「あらあら大変〜。英くん、タオル持ってきてくれる〜」

 転んだのが川岸に近いところだったため、それほど慌てることなく、それでも小走りで美香子は助けに行く。
 カオスは完全に水の中に沈んでしまって、黒いヴェールと長いワンピースがゆらゆらと川の流れと同じように揺れている。それでも、顔をつけたまま四つん這いで進んでいた。

「そっちは危ないわよ〜。カオスちゃん」
「おさかなさんがいたの」

 水の中から美香子に抱き上げられたカオスが名残惜しそうに川面に手を伸ばす。美香子が視線を向けると微かに魚のような影が見えた。

「イカロスやニンフは泳げないが、カオスは泳げるのか?」
「泳いでいたっていうより、進んでただけね」
「では、深海でも行動できるイカロスと同じような感じか」

 川から上がった美香子に英四郎はタオルを渡す。
 カオスを降ろし、ヴェールを外して髪を拭く。くすぐったそうな、煩わしそうなくぐもった声がカオスから発せられた。

「おさかなさん……。おにいちゃんにもっていきたかった」
「それは今度ね〜」

 髪と顔を拭き終わったころ、英四郎の携帯電話が鳴った。

「びしょびしょになっちゃったわね〜。エンジェロイドも風邪とかひくのかしら〜?」

 タオルで拭くにも限界がある。日差しは暖かいが、乾くまでには時間がかかりそうだ。もし、エンジェロイドも人間と変わらないなら風邪をひいてしまうのではないかと美香子は考える。
 美香子とカオスから離れて電話を受けていた英四郎が戻ってきた。

「智樹から準備が出来たと連絡があったんだが……大分濡れてるな」

 カオスを捕まえるのに美香子も川に入り、スカートの裾と靴が濡れてしまっていた。そして、完全に濡れてしまったカオスを抱き上げたせいで、カオスほどではないが全身濡れてしまっている。

「そうねぇ〜。私も濡れちゃったし〜一度家に寄るわ〜。カオスちゃんもお着替えしましょうか〜」

 笑いかける美香子に、よくわかっていないカオスは同じように笑みを浮かべて首をかしげた。





「お待たせ〜」
「遅いっすよ、守形先輩、会長」

 連絡を貰ってから約一時間後、英四郎と美香子、そしてカオスが智樹の家へと戻ってきた。
 中から出てきたのは智樹とそはら。玄関を開けた瞬間から良い香りが漂ってきたところから考えると、イカロスが台所で腕をふるっているのだろう。

「ありがとうございました、守形先輩」
「いや、こちらとしても興味深いデータが取れた。カオスの相手をしていたのもほとんど美香子だ」

 深々と頭を下げるそはらに言いながら、抱いていた英四郎はカオスを降ろす。

「遊んでもらえてよかったね、カオスちゃん。って、あれ?」

 降ろされたカオスは智樹に抱きつく。その服がいつものものと違うのに、二人は気がついた。
 黒いヴェールの代わりに水色の大きなリボンのカチューシャが付いている。修道服を模したような黒いワンピースは、リボンと同じ水色のワンピースになっていて、その上に白いエプロンをかけている。
 それは、不思議の国のアリスを彷彿とさせるようなエプロンドレスだった。金髪の少女であるカオスはそれそのものにも見える。

「川で遊んでたらぬれちゃったの〜。桜井くんが好きそうなお洋服だなと思って〜どうかしら〜?」
「とっても可愛い! ね、トモちゃん」
「な、何か引っかかる言い方ですね、会長……。でも、似合ってるぞ、カオス」

 智樹に頭を撫でられ、カオスは今日一番の笑顔を見せた。

「入ってください! みんな待ってますよ」
「ああ」
「お邪魔しま〜す」

 そはらに促され、英四郎と美香子も家に上がる。
 これでメンバーは揃った。賑やかだが、ささやかなパーティーが始まろうとしていた。



end





アニメ2期後のお話です。
単純に、先輩と会長とカオスを絡ませてみたかった。

2011/05/01 発行
2011/06/01 サイト掲載