今は、せめて休息を
帰りのSHRを終え、美香子は足早に新大陸発見部の部室へと向かっていた。
昨日、英四郎は遊びに行っていた桜井家から突然姿を消した。どこへ行ったのかと問うため、携帯へ連絡したにも関わらず、一度も彼には繋がらなかった。
智樹と母親である智代の戯れを、穏やかな表情で見ていた英四郎。うっすらと笑みさえ浮かべた彼の顔を美香子は数年ぶりに見、内心ものすごく驚いていた。
だから、その後の足取りを追うことが出来ず、焦っていた。
辿り着いた彼女が部室へ入ろうとすると、冷ややかな気配を感じ取った。
一度、深く息を吐き出し、身体の中の空気を新しいものと入れ替える。そして、意を決して引き戸を開けた。
部室の中には、英四郎ただ一人。だが、その部屋の雰囲気はいつもと打って変わって陰湿でとても冷たい。
まるで、智樹たちと出会う前、英四郎一人しかいない頃のようだった。
美香子は挨拶することも、英四郎に声をかけることもせず、後ろ手に扉を閉めた。
英四郎の方も、入って来たのが美香子であることに気がついているが、あえて何もいわない。彼女に背中を向けたまま、ひたすらに目の前のパソコンへ集中しようとしていた。
普段は離れていても、家族の絆は繋がっている。 それを目の当たりにし、英四郎は過去の温かい記憶を思い出した。
もしかしたら、自分にもその絆は残っていると、微かな希望を抱いて、実家へ戻った。しかし、彼の期待は無残に打ち砕かれてしまった。
状況は英四郎が家を出たときと何ら変わっておらず、いなくなっていたことにより、むしろ悪化していた。
打ちひしがれ、傷ついた心をハンググライダーの調整やシナプスへの侵攻方法などに没頭することで、彼は覆い隠そうとしていた。
「守形く〜ん」
沈黙を破ったのは、美香子だった。
二人きりの時に呼ぶ愛称ではなく、人前で英四郎を呼ぶ方で声をかけた。彼女なりの距離のはかり方だ。
呼びかけられた英四郎は、渋々ながら振り向く。
視線の先にいる美香子はいつもクッション代わりにしている座布団を床に敷き、正座をしている。そして、にっこりと笑いながら、揃えた膝を両手でぽんぽんと叩いていた。
彼女の行為が示す意味をとっさに理解したが、あえて英四郎は無視し、姿勢を戻した。
当然、彼のその反応は美香子にも予想はついていた。
「もう、英くんってば〜」
「っ!?」
音もなく英四郎の背後に歩み寄り、羽交い締めにして力の限り椅子から引きずり下ろした。
バランスを崩した椅子が大きな音を立てて倒れる。
「美香子っ!!」
英四郎の声が部屋に響いた。その声は普段抗議するときよりも、苛立ちを多分に含んでいる。
構わないで欲しい。放っておいて欲しい。そう態度で示しているのに、彼女へは伝わっていないのか。
「はい、静かに〜」
そんな英四郎の怒号もどこ吹く風。
美香子は、座布団を引き寄せて再び正座をし、自分の膝の上に彼の頭を置いた。そして、英四郎のトレードマークでもある眼鏡も取ってしまう。
「寝不足なんて、らしくないわ〜」
美香子の手が降りてきて、英四郎のぼやけた視界を覆った。
「ここには私しかいないし、鍵も閉めたから誰も来ないわ〜」
もう片方の美香子の手は、リズムよく肩を叩いている。
それは本来の鼓動と同じリズムで、興奮している彼の心を静めようとしているようだった。
「だから、安心して眠りなさいな」
「……」
英四郎は、何も言えなくなってしまった。
美香子が言うとおり、家から帰ってきた後、英四郎はろくに眠ることが出来なかった。
何も伝えていないにも関わらず、幼馴染みは自分の状況を酌み取っていた。
長く側にいる美香子の存在は、英四郎にとっての支えでもあった。それは、美香子側から見ても同じだ。心置きなくいられるのは、互いしかいない。
すうっと、英四郎の力が抜け、美香子が足に重さを感じた。
「…………すまない。少しの間だけ、借りる」
小さく呟き、目を覆ったままの美香子の手に、英四郎の手が重ねられる。
彼女の温もりが、英四郎の冷たくなった身体を溶かし、傷ついた心を癒していく。
「うふふ〜。いつまでも英くんの気がすむまでどうぞ〜」
絶望感をやり過ごすには、英四郎もまだ経験が足りない。
目を閉じると、実家での光景がフラッシュバックするような気がしていたが、それが襲ってくることはなかった。
「あれ? 鍵閉まってる」
「いないのかな?」
新大陸発見部部室の前には、智樹とそはら、イカロスとニンフがいた。
智樹が開けようした扉は、鍵に阻まれびくともしない。
首を傾げる智樹とそはらを尻目に、ニンフは部室内にある二つの生命反応を認識していた。それは、イカロスも同じだ。
「トモキ、外からまわって見てくるわ」
「……私も」
そう言ってニンフとイカロスは廊下の窓から飛び出した。
外をまわり部室へと行くと、窓は開いていて、暗幕も開け放たれている。エンジェロイドの二人は窓に近づき、室内を覗き込むと、意外な光景を目の当たりにした。
膝枕をされている英四郎と、その状態でうたた寝をしている美香子の姿。
普段の二人から想像も出来ないような安穏な風景に、ニンフはイカロスと顔を見合わせて、頷いた。
出て行ったときと同じように窓から戻ってくると、そはらが近づいてくる。
「どうだった?」
「ぁ……」
事実を伝えるべきかと迷うイカロスを遮って、ニンフが口を開いた。
「暗幕も窓も閉まってたし、生体反応もないし、いないみたい。今日は帰りましょ」
end
もともとタイトルはありませんでしたが、サイト掲載にあたり突貫で付けました。
コミックス12巻収録#67「家族!!」後のお話です。
膝枕が書きたかった……!
2013/12/29 発行
2014/06/17 サイト掲載