かぞくになろうよ




「ただいま帰りました……」

 呟きのように小さな声でいいながら、イカロスは桜井家の玄関の引き戸を開けた。途端、スパイシーな香りが嗅覚を刺激する。

「お、いいところに帰ってきたな! って、先輩たちも……」

 玄関の開く音を聞き、智樹が奥からやって来る。エプロン姿の笑顔でイカロスを迎えたのだが、彼女の後ろにいる招いていない客人を見つけて、眉間にしわを寄せた。
 そんな彼を見て、英四郎は片手を上げて挨拶をし、美香子はにっこりと微笑む。

「桜井くんの手料理のご相伴に預かろうかと〜」
「ああ、もういいですよ……」

 今更追い返すことも出来ないと、智樹は諦めてため息をつく。
 いつもこうやって押し切られているような気がする。食事をたかりに来ることも増え、イカロスが微妙にその量を増やしていることも知っていた。
 今日は五月の第二日曜日。一般的に「母の日」と言われる日だ。
 両親が旅に出ていて、母親不在の桜井家ではそんなイベントは行われないはずであるのだが、そはらの提案により智樹は一つの計画をする。
 家事を一手に引き受けている、イカロスに感謝する日にしよう───
 そして、今日の夕食は智樹が作ることにした。いつも美味しい料理を作ってくれるイカロスへの、せめてものお礼のつもりだ。

「智樹」

 前を行く智樹に、英四郎が声をかける。

「ダイダロスは……あと一時間くらいかかるが、来られると」

 腕時計を見ながら、智樹へと伝えた。
 シナプスでの一件が終わった後も、英四郎はダイヴ=ゲームでシナプスへ訪れていた。和解したと言えるのかは不明だが、敵認定を受けることはなくなったため、比較的自由にシナプスを調査している。
 当然ながらダイダロスに会うこともあり、今日は智樹に頼まれて彼女に会いに行った。そして、智樹からの伝言を伝え、返答を貰い帰ってきたのだった。

「そっか。ありがとうございます、先輩」

 なかなか会うことの出来ないダイダロスから前向きな返事を得、智樹は表情をほころばせた。





 イカロス達が居間に姿を現すと、向かい合って本を読んでいたアストレアとカオスが同時に顔を上げた。

「あーイカロスセンパイ、帰ってきた!」
「イカロスおねぇさま……! どぉぞ」

 そう言って、カオスがテーブルの上に置いてあった赤とピンクのカーネーションの花束を差し出した。
 夕食の支度を智樹がするように、イカロスへ贈る花はアストレアとカオスが担当した。
 「私はおねえちゃんですから!」と胸をはって行ったアストレアだったが、肝心のカーネーションがどれかわからず花屋の店頭で悩んでいたところ、日和に出会い、助けて貰ったという。

「……ありがとう」

 笑顔にはならないが、嬉しそうな雰囲気を出して、花束を受け取る。
 それを見ていると、動力炉がほのかにくすぐったく感じた。花瓶はどこに仕舞っただろうかと、考える。

「はぁい、お待たせ〜」

 智樹と同じようにエプロンを掛けたニンフが、台所から夕食を運んできた。まずは、本日の主役のイカロスの前に置かれる。
 白い皿に盛りつけられているのは、カレーだった。しかし、それは単なるカレーではない。
 ご飯を皿中央に山盛りにしてカレーをかけ、波形に切ったチーズで飾り付けている。色こそ違うが、そのデザインは、まさに。

「……スイカ」
「でしょ? トモキがすっごくこだわってたんだから」

 次々と全員分のカレーを配膳していく。イカロス以外の分は普通に盛りつけられている。チーズを切るのが意外と難しく、唯一上手く出来たものを主役用にしたのだった。

「食べてみろ?」

 隣に座った智樹がイカロスを覗き込みつつ、にこにこと笑う。
 いつの間にか全員がテーブルを囲んでいた。ニンフ、アストレア、カオスの桜井家の住人に加え、そはらと美香子、英四郎、オレガノもいる。ずいぶんと大所帯になった。
 イカロスはこくんと頷いて、スプーンを手に取り、カレーを掬った。せっかく智樹が、さらに自分の大好きなスイカを模してくれたものを崩すのはもったいなと思いながら、それを咀嚼する。

「美味しい、です」
「おうよ!」

 スプーンで掬い、嚥下するまでをじっと見ていた智樹は、思わず止めてしまっていた息を吐き出した。味見をしてそれには自信があったが、エンジェロイドという未確認生物の口に果たして合うのか、気になっていた。

「ほう。なかなかの腕前だな」
「意外な特技ねぇ」

 英四郎と美香子から率直な感想が飛び出す。二人も智樹の手料理を食べるのは、初めてだった。

「そりゃ、母親いない時期も長かったですし」

 困ったように頭をかきながら、智樹が笑う。急いでカレーを口に運んだのは、照れ隠しだ。
 智樹が十歳になった頃、両親は家を出てしまった。すでに祖父も他界していて、一人で生活をしなければいけなかった。もちろん、隣に住むそはらの両親の世話になることも多々あったのがだ、出来る限り手を煩わせないよう、彼なりに務めていた過去がある。
 自炊は、そんなときに自然と身についた。イカロスがシナプスから落ちてきて、共に生活するようになると、やることはなくなったが、腕は鈍ることはなかったようだ。だが、段取りは少し悪くなっていた。

「そういえば、トモちゃんのお母さんは?」
「ん〜……今は北の方かな」

 そはらからの問いかけに、部屋に置いてある棚の方に目を向けた。智樹のじいちゃんの写真の隣に、ごく最近母親から届いたハガキを置いておいたはずだった。
「今話題の綺麗すぎる女の子に会いに行きます。ロシア系の女の子はみんな美人さんよね〜」
 淀んだ空の下、色鮮やかな建物の綺麗な絵はがきの表面には、走り書きでそうあった。

「マスター、ありがとうございます」

 イカロスはスプーンを置いて、身体を智樹へと向けた。真っ直ぐ見つめてくる彼女を同じように見返し、智樹は薄く微笑んで腕を伸ばした。

「それは俺らの台詞だな。いつもありがと、イカロス。あと、これからもよろしく」
「っ、はい……!」

 形のいいイカロスの頭を智樹が撫でる。その行為が嬉しくて、イカロスは少しだけうつむき、じんわりと水が溜まった目を隠した。

────ぴんぽーん

「おお、来たか! お前ら、準備しておけよ」





「はいはーい」

 智樹が玄関の引き戸を開けると、いつもの機械に乗ったダイダロスがいた。

「こ、こんばんは!」

 勢いよく開いた音に驚き、ダイダロスの声が思わずうわずる。頬を赤く染めているのだが、長い髪がそれを上手く隠していた。

「忙しいとこ、悪かったな。でも、来てくれてありがとな!」

 智樹の満面の笑みに、思わず胸が高鳴った。
 ダイダロス的には、人間とシナプス人の姿や文明などがかけ離れているため、無闇に接触しない方がいいと考えているが、やはり好きな人に誘われれば、来てしまう。
 智樹に促されて、機械に乗ったまま移動する。智樹に促されて、そのまま移動。誘われた理由は聞かされていないので、単純に食事に誘われたとダイダロスは思っている。

「もう一人の主役の到着だぞー!」
「え?」

 居間に入った智樹はそう高らかに宣言した。
 後ろで聞いていたダイダロスは「主役」という言葉に疑問符を浮かべながら、居間の方へ機械ごと身体を向ける。

「「「「「ありがとう、お母さん!」」」」」

 声の五重奏が響き、ダイダロスの目の前にカーネーションが差し出された。

「え? え……これって?」

 現在の様子にダイダロスは混乱する。戸惑ったように、花やイカロス達、隣に立つ智樹を見ている。その度に、長い髪が大きく揺れる。

「私たちをこの世界に生み出してくれたんで、お母さんです!」
「まあ生まれたせいで、たくさん辛いこととかあったけど、今は楽しいし幸せだわ」
「私たちを作ってくれて、ありがとうございます」

 アストレア、ニンフ、イカロス−−−ダイダロス製エンジェロイド三姉妹が次々に笑顔で言う。イカロスも微かに笑っているように見える。

「あ……あの、トモくん……?」
「受け取ってやれよ、カーネーション」

 にやりと笑った智樹。ダイダロスは自然と震える手を伸ばして、カーネーションを受け取る。先程イカロスに渡された花束とは違い、一本ずつ包装されている。

「私は量産用で正確にはあなたの娘ではありませんが、あなたが設計を考えてくださらなければ、私も存在することが出来ませんでした。ありがとうございます」

 オレガノもそう言ってカーネーションを渡した。

「わ、私……こんなことになるなんて、考えてもみなかった」

 片手でカーネーションを抱き、もう片方の手で口を覆うダイダロス。その小さな肩は少し震えている。

「感情を積んで、受ける仕打ちに恨まれるのならまだしも、感謝なんて……!」

 エンジェロイドは娯楽を失ったシナプス人が虐げるために作った存在。イカロス達は戦闘用という名目だったが、実際に人間達はシナプスに攻撃を仕掛けてくる事もなかったし、シナプスを驚異に陥れるような人種もいなかった。
 そして、彼女らはシナプスの最高評議会の面々を楽しませるためだけに、様々なことをさせられていたとダイダロスも聞いていた。
 だからこそ、今の状況が彼女は信じられない。夢を見られない自分は、もしかしたら夢を見ているのかもしれないと思うほどに。

「なかないで?」

 カオスの小さな手がダイダロスの膝に触れる。途端、ダイダロスから大粒の涙が堰を切ってこぼれる。止められない暴走に、一時は処分すら考えた小さな天使にも優しい言葉をかけられた。

「っ、あ……ありがと……ぅ」

 ダイダロスはうつむいて、カーネーションを抱きしめながら嗚咽をもらした。

「私からも」
「そはら……」

 聞こえた声にダイダロスは頬に伝う幾筋の涙の後を隠さず、顔を上げる。優しく慈愛も含んだ笑みを浮かべながらカーネーションをそはらが前に出す。

「あなたがトモちゃんを好きになって、忘れてほしくないと願ったから、私が生まれたんだよね? だから、私のお母さんでもあるの」

 満面の笑みのまま、ダイダロスの震える肩を抱きしめた。

「一緒の存在みたいなものだけど、ありがとう!」
「っ……!」

 カーネーションを膝の上に落とし、そはらの背中に腕をまわすダイダロス。
 後悔や自責の念をずっと抱いていたダイダロスから、涙と共に感情があふれ出してくる。

「ほら。落ち着いたら、カレーも食べてけよ。うまく作れたから」

 一人の母親とたくさんの娘達のやり取りを、ずっと優しそうな表情で見つめていた智樹がダイダロス用のカレーを用意し、テーブルの上に置いた。
 全ての問題が片付いた今、イカロス達にも本来の意味の「母の日」をやらせてあげたかった。ここまでダイダロスが感動してくれれば、大成功だ。

「う……うん!」





「いいわねぇ。家族愛ってやつ〜?」
「そうだな」

 英四郎と美香子は蚊帳の外で家族の交流を見ていた。食事も終え、勝手にお茶を入れて飲んでいる。

「そういえば、お前の母親を見たことなかったような気がするが」
「私が生まれてすぐ亡くなったみたいよ〜」

 湯飲みを手で握りながら、前を見たままさらりと美香子は答える。

「そうか」

 あまりにも自然な受け答えで、英四郎はそのまま受け流した。

「……英くん」
「ん?」

 全員の集中はこちらに向いてないとは言え、珍しく周りに他人がいるときに愛称で呼ばれ、英四郎は隣の幼馴染みを見る。

「私は英くんのお母さんにはなれないけど、家族にはなれるわよ? どうかしら〜?」

 にっこり笑いながら、美香子は言う。そして、横に置かれていた英四郎の指に、自分の指を触れさせた。

「……」

 いつもどおりの真剣な表情で彼女を見つめ、その微かに触れている指も見る。

「…………考えて、みるか」

 そういって、指先だけ動かし、彼女の細い指の上に自分の指を乗せた。



end





 今回のお話は、最終回後のみんないるお話です。
 本当は出来る限りキャラを出したかったんですが、どうにも一向にまとまらず。構想していた後半だけで構成してみました。
 キングとかガタッさんとかハーピーとか日和とかも書きたかった……!
 そして、最後は安定の先輩×会長で。推しますよ。大好きです。

2014/04/29 発行
2017/05/13 pixiv・サイト掲載