今宵、流れ星の見える場所で




「だいぶ冷えてきたな」

 発せられた英四郎の言葉は、白い吐息となって冬の暗闇に溶ける。
 冬の突き刺すような寒さが頬をかすめる。傍らにある暖と灯りのためのたき火が、ぱちぱちと音を上げていた。

「そうね〜。はい、どうぞ〜」

 美香子は相づちを返し、今し方作り終えたココアを渡した。
 市販の調整ココアを、たき火で沸かしたお湯で溶いた簡単なもの。ステンレス製のマグカップに人数分用意している。

「先輩、全然見えませんよー!」

 英四郎は湯気を立たせるココアを両手に持ちながら、川の付近で空を見上げたまま呼んだ智樹たちの元へ向かう。
 美香子が彼に渡したココアは、一口も付けられずにテーブルに置かれていた。その判断は正しい。沸いたばかりお湯を使ったため、ココアは温かいを通り越して熱いままだ。

「放射点は真上じゃない」

 真上を見ている智樹たちに言い、両手のマグカップを差し出す。
 ふわりと視界に入ってきた温かそうな湯気に、智樹は顔を下に降ろす。同じように見ていたそはらもカオスも同様だ。

「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます! 寒かったから、ちょうどよかったです」

 二人は礼を言い、熱いココアを受け取った。取っ手は英四郎が握っていたが、智樹もそはらも手袋をしているため、内側から熱されたステンレス部分を触っても動じることはない。
 後からやって来た美香子が、残りのココアを全員に配っていく。
 深夜にかけての外出と言うことで、厚手のジャケットやコートに手袋、帽子、マフラー、カイロなどで出来る限りの寒さ対策をしている。
 エンジェロイドは暑さ寒さを感じないようだが、イカロスやニンフは智樹たちと同じように防寒着姿だ。しかし、アストレアとカオスはそのまま。特にアストレアの姿は、寒風吹きすさぶこの夜には本当に寒々しく見える。

「頂点ではなく、やや低い。ピークは……そろそろか」

 腕時計に視線を落としてから、空を見上げた。彼を真似るようにみんなが空に顔を向けた。



 彼らが何をしているかというと、天体観測会だ。
 数日前からテレビの天気予報で、流星群の話が出始めた。流星群自体は毎年見られるものだが、今年はやや規模の大きなものになると伝えられた。日が近づくにつれ、ピークの時間や見える方向など詳しい情報が多くなっていった。
 降り注ぐような流星雨を想像したそはらが話題に出し、もともと観測予定だった英四郎が話を進め、観測会という部活動でのイベントとなったのだ。



 流星群はあと数十分でピークに達する。
 すると、きらり、一つの星が滑り落ちた。

「あ、今星が……」
「どこどこ!?」

 流星は一瞬、強い光を放ち消えた。イカロスのぼんやりとした発言後に智樹が必死に空を探しても、もうすでに消え去っている。

「ピークといっても〜一時間に百個見つけられれば、いい方よ〜」

「観測条件は良いが、それほど大規模ではないからな」

 空は晴天で、月齢の低い月はすでに沈んでいる。冬の空気は冷たいが、その分澄み渡っている。星の灯りを邪魔するものはいない、絶好の観測日和だ。
 英四郎の言うように、今年は大規模な出現ではない。確かに例年に比べて量は多いが、かつて一時間に数千というそれこそ「流星雨」を体現して見せたことがある。
 「やや規模の大きい」という表現は誤解を招く、と彼は思う。

「風音も来られれば良かったのにな」

 まだ熱いココアを冷ましながら智樹が言う。吹きかける吐息も白く、湯気と混ざり合った。

「日和ちゃん、弟さんたちの世話あるって言ってたしね。でも、きっとこうやって見てるよ」

 同じようにしていたそはらは答えた。恐る恐る口を付けてみるが、唇の先に当たった温度にびくっと肩を震わせた。
 智樹たちはこの観測会に日和も誘ったのだが、とても残念そうな表情で「ごめんなさい」と断られてしまったのだ。弟たちを残して家を空けられないと、本当にすまなそうに言う様子は、こちらが逆に申し訳なくなるくらいだった。

「おにいちゃん、お星さまはきえちゃうの?」

 ステンレスのマグカップを小さな手で持ちながら、カオスが智樹を見上げる。

「ん? そうだな。ねえ先輩」
「ああ。そもそも流星と言うのは……」
「違うわよ〜ほら〜」

 暗に智樹から解説を頼まれた英四郎の言葉を美香子が遮り、カオスの前に握った手を差し出した。

「?」

 自然と美香子の手に注目が集まる。妨害された英四郎もまたそれに注視していた。

「お星さまだ」

 開いた手のひらの上には一粒、黄色の金平糖がころんと転がる。カオスにとって、その形が星のように映った。

「会長、さっきから落ちてくるお星さまを拾ってたの〜」

 そう言って、カオスからココアのマグカップを受け取り、色とりどりの金平糖の入った小さな袋を渡した。キラキラとした目で星の欠片たちを見て、

「すごい。おにいちゃんもできる?」

そう無邪気に問いかける。
 あのドS会長が金平糖を星の欠片などと、珍しく乙女なことを言う……そう面食らっていた智樹。カオスからの期待の目と、周りからの期待を裏切るなとの目に一瞬動揺する。
 いつの間にか智樹の背を取っていた美香子に肩をつつかれ、手のひらに何かを押し込まれた。ごつごつとしたこの感触は、間違いなく星の欠片。

「……! おう、見てろよ」
 自信たっぷりに笑ってみせる。
 空に向かって手を伸ばしたとき、偶然にも星が流れた。それを掴み取るように腕と手を動かす。そして、反対側に握っていたものを移し、カオスの前で手を開いた。

「すごいすごい!! これよりおっきい!!」

 智樹の手のひらから少し大きい星の欠片を取り、きゃっきゃとカオスは喜ぶ。その様子に自然と周りの空気が柔らかくなった。
 金平糖は人数分用意してあり、ココアと同じように美香子は渡していった。受け取ったイカロスが袋を眺めながら、首を傾げた。

「……本当に、星なのですか?」
「違うわ〜、お砂糖のお菓子よ〜」
「小さくて可愛いわね。それに、あまぁい」

 早速リボンを解いたニンフが金平糖を一粒取り、口へ運んだ。かりっとした食感と広がる爽やかな甘さは、洋菓子にはなかなかない繊細さがある。

「アストレアちゃんには大きいのをあげるわ〜。特別よ〜」
「ありがとうございます! 師匠!」

 アストレアへはさっき智樹に一粒だけ渡したものと同じで、少し大ぶりのものだ。量も他のものより多い。小さなものでは満足しないだろうとの考えからである。

「ねえ、イカロスさんたちは何お願いする?」

 ちょうどよい温度になったココアを飲みながら、そはらはイカロスたちに聞いた。しかし、その反応は薄いものだ。

「……お願い、ですか?」
「なあに、それ?」
「あれ? 流れ星が消えるまでに願い事を三回言えたら、願いが叶うんだよ」

 逆に問うイカロスとニンフに、知らなかったのかとそはらは首を傾げた。

「そうなんですか……」
「へえ〜」
「でもでも、すぐ消えちゃうじゃないですかー」

 こうやっている間にもぽろぽろと流星は出現している。どうやらピークの時間を迎えたようだ。

「だから、叶うんだろ」

 困難なことだから、言うことが出来たら叶う。
 さすがの智樹も、本当に流れ星が願いを叶えるとは思っていない。けれど、そう思いたいときもある。

「トモキは何をお願いするの?」
「俺? 俺はなあ〜……やっぱハーレムかなぁ……へぶしっ!!」

 智樹の脳天にそはらのチョップが炸裂した。いつものようにキレがいい。簡単に智樹は河原の砂利の上に沈む。

「さいっていっ!!」
「ぷすすー」
「いい気味だわ」

 智樹をあざ笑うアストレアたち。ピクピクと動く彼をカオスはしゃがみこんで、不思議そうに眺めていた。
 そんなやり取りを蚊帳の外で見ていた英四郎と美香子。ふと空を見上げると、流星の数が更に増えていた。

「だいぶ多くなってきたな」

 一つ流れ、少し間が開き、また流れる。なるほど、確かに「やや規模の大きい」だ。
 丸いとはいえ石の直撃を受けた智樹は額から微かに血を流しながら、起き上がる。空に目を向けると流れ星が見えた。

「まだ放出点は低いから、流星は長い時間見える。願掛けするなら、今のうちだ」
「え、あっ!!?」

 反応の遅れたそはらが流れ星を見逃す。願い事を聞いた身ではあるが、自分の願い事は決まっていなかった。

「ハーレム! ハーレム! ハーレム! よっしゃぁ!!」
「トモちゃん!」

 次に流れた星に向かって智樹がいかがわしいことを叫ぶ。短いその願いは、燃え尽きる前に言いきることが出来た。嬉しそうな智樹をそはらがたしなめる。

「マスターのお側にずっといられますように……あ、」

 イカロスが願い事を一回呟いているうちに、星は姿を消してしまう。

「トモキがマスターになってくれますように……って、なんて願い事してんの、私」

 ニンフも小さな声でいった。この願いは星でも叶えてくれないだろう。
 智樹はマスターという立場を嫌っている。自嘲気味にうつむいて笑い、金平糖を一つ口に含んだ。何処か甘さが切なかった。

「シメサバ! シメサバ! シメサバ! シメサバ! やったあ」

 アストレアは智樹と同じだ。勢い余って四回言ってしまったが、きちんと消える前に言い切ることが出来た。これで明日からシメサバ食べ放題……! と思うと、自然と唾液がこぼれてくる。

「うふふ〜楽しそうね〜。ねえ、英くんは何かお願いしないの?」

 智樹たちが気がつかない間に、英四郎と美香子はたき火の付近に移動して、流星群を観測していた。
 彼らとは離れたところにいるためか、美香子の英四郎に対する呼称が変わっている。

「願いは全て実現可能だ。わざわざ星に叶えてもらうまでもない……」

 そう言ってテーブルに置いたままで、大分冷めてしまったココアを飲む。願いというのは、確かな努力と微かな才能と偶然次第でどうにかなると、英四郎は考えている。

「そうね〜。でも、敢えてするなら〜……」

 美香子も英四郎の考えに同意を示し、英四郎との距離を少しだけ縮めた。





 星に願いを。
 今宵、流れ星の見える場所で。



end





当初、2012年1月頃に実際に見られる流星群をモデルにしようとしていました。
が。
確かにその時期の流星群はあるものの、あまり観測条件が良くなかったので、想像上の大規模流星群に。
そのモデルは獅子座流星群。
この流星群が現れるのは11月で、それほど寒くないです。

2011/12/30 発行
2012/01/29 サイト掲載