(無題)




「オレガノちゃん」
「承知しております」

 薄れていく温もりを抱きながら、私は後ろに控える天使へ呼びかける。
 返ってきた答えは、実に頼もしいもの。そう、彼女……達に任せればいい。

「こちらの方も?」
「ええ」
「かなりヒドイ損傷状態ですので……」
「やりなさい。英くんの大切な……友達ですもの」

 天使の声を遮る。
 かつての敵は彼を助け、友人としてその命を散らした。己がどこに立っているか知らぬまま。何も使い方を知らぬまま。それでも、彼は私の大切な人を助けた。結果として、倒れてしまったが間違いなく、私と彼の恩人だ。
 顔を上げ、そちらを向いてみれば、彼よりも明らかに負傷は激しい。彼ははたして「人間」であっただろうか。それとも、ここにいるから「石板」の影響を受けることが出来ないだろうか。

「かしこまりました。では、シナプスのオレガノを集めます」

 私のものになった天使は、物言えぬ医療用天使達とは違う。
 医療用天使達の総括として、こちらの意志に従わせることも出来るだろう。
 どこからともなく集まってきた医療用天使達が、治療を始める。怪我の程度を表すかのように、彼の友人周辺には何人もの医療用天使達が群がった。
 彼の治療は私の天使が受け持ち、アシストに一人、横に並んでいる。

「申し訳ございません。英四郎様を横たえて頂けませんか?」

 私が抱きしめたままでは、何も出来ないのはわかっている。彼女たちなら助けられるのは、わかっている。
 けれど、やっと立ち止まった彼を手放すのは、とても怖かった。
 私は彼を彼の血で汚れた場所から少しだけ移動させ、横たえた。そして、傷口を押さえていた赤い手を取り、握った。

「握っていても、支障はないかしら?」
「はい」

 離れていってしまいそうな彼をつなぎ止めるのには些か心許ないが、全く触れていないよりは安心する。
 気がついてみれば、自分の制服も彼の血で染まってしまっていた。
 胸を貫かれる酷い怪我だ。これでは、流石の彼もひとたまりもない。最期に電話をかけたのは、私でなかった事が悔しいけれど仕方ない。
 彼はきっとこの世界で得た、自分を変えられると思えた友人が大切だったんだ。
 事切れる瞬間まで、自分のしでかした間違いを正して欲しいと訴えていた。

「……英くん」

 治療を受ける彼に声をかける。当然、返事はない。

「今度こそ、今度こそ変わる。きっと、英くんが笑える世界が来る」

 あなたが望んだ世界なのだから、そんな世界が来なければ意味が無い。
 私が望んだだけでは、全然足りなかったのだから。

「だから……」

 その笑顔を私にも見せてくれる……?
 一番伝えたかった言葉は、胸に詰まって出てくることはなかった。
 私はあまりに無力だ。
 彼の兄は亡くなって、彼は居場所を失って。せめて、彼が彼らしくいられる場所をと思って、あの部室を渡したのだけれど、根本は何も変わっていなくて。
 いくらやり直したところで、自分では彼を救えない。無力な自分では、大切な人を救えない。
 だから、彼を救えるであろう彼の友人の出現には、正直嬉しかったし、妬ましかった。
 何故彼を救えるのが、私ではないのだろう。

「美香子お嬢様」
「……なぁに、オレガノちゃん」
「身体の傷は私が治しますが、心の傷は治せません。なので、泣かないでください」

 そう言われてはっとする。
 繋いでいない方の手で頬を触れば、確かに水の感触があった。
 いつの間にか、泣いていた。天使の前とはいえ、人前で涙を流していた。
 世界をやり直したときから、私の感情は希薄になった気がする。彼を想う感情以外は。
 このような状況になって、やっと人間らしい感情が出てきたのかも知れない。

「ふふっ……ごめんなさい。英くんが目覚める頃には、いつものように笑うから」

 彼は私の涙を知らないはずだ。少なくとも、成長してから彼の前では泣いていない。
 どのような反応をみせてくれるのか、非常に興味深いが、病み上がりにそれは厳しいだろう。しっかりと泣き止んでおこう。
 そして、彼の前で泣くのは、全てが上手くいったその時でいい。

「はい」

 ぽたりとこぼれた一粒が彼の手の甲に落ちた。
 握っていた彼の手が、微かに握りかえしてくれたように感じたのは、私の気のせいだろうか。



end





コミックス19巻#74「虚無!!」から受けて、妄想大爆走したお話になりました。
具体的な妄想大爆走は、会長が石板を使って世界改変をしたのが、今の世界。
……そんな感じです。
最終回前に書いたものなので、今読むと矛盾だらけですね。
普段は強くても、弱い会長が大好きです。

2013/12/29 発行
2014/06/17 サイト掲載