トモキ・イン・ワンダー・ランド




 学校から帰ってきた智樹は、階段を上がって自分の部屋に入りました。勉強も日常生活も大変で、とてもくたくたです。
 肩にかけていたバックを降ろすと、いつもは見かけない絵本がそこにありました。

「ん? ちみっこの絵本がこんなところに……」

 ちみっこと言うのは、最近智樹の家にやってきたカオスというエンジェロイドです。イカロス、ニンフ、アストレアの妹にあたり、まだまだ幼いその子を智樹は「ちみっこ」と呼んでいました。
 そんなカオスのためにイカロスが買ってきた絵本が、何故か智樹の部屋に落ちています。
 「不思議の国のアリス」───と、表紙に書かれた絵本を手に取った瞬間。

「えっ!? なっ……! うわぁぁっ!!」

 眩い虹色の光が智樹を包み込み、やがてそれは智樹ごと消えてなくなってしまいました。
 絵本の下には、さっきの光と同じ色をしたカードが人知れずキラキラと輝いていました。





* * * * *





「ん、……ん」

 頬を撫でる風とみずみずしい草の香りを感じて、智樹は目を覚まします。
 いいやおかしい! 確か、自分の部屋にいたはずだ! と、がばぁっと身体を起こしたら、びっくり仰天。

「な、なんじゃこりゃああ!」

 制服を着ていたはずの智樹の服が替わってしまっていました。着替えたという記憶もないのに。
 水色のワンピースに白いエプロン───エプロンドレスに、しましまの靴下とワンピースと同じ色の靴。頭を触ってみると、カチューシャまで付けているようです。
 そして、さらに智樹は違和感を覚えまていました。そう、それは。

「ない」

 そう、服装に合わせてなのか智樹の身体は女の子の身体に変身していたのです。そうなれば、今は「智樹」ではなく「トモ子」という事になります。どちらも智樹には変わらないのですが。
 状況を確認しよう智樹が立ち上がったとき、遠くから誰かを呼ぶ声が聞こえてきました。

「……ゃん、トモ子(アリス)ちゃーん」

 智樹の姿を見て、小走りで駆けてくるのは日和でした。

「こんなところにいたんですか? お姉ちゃんと本を読みましょうって言ってたのに」

 少しだけ息を上げて智樹の目の前にやってきた日和は、白い襟の付いた緑色のロングワンピースを着ていました。
 鈴の付いたリボンはいつものとおりですが、何故か自分の事を「お姉ちゃん」と呼んでいます。

「トモ子(アリス)ちゃん?」

 智樹をアリスと呼び、首を傾げている日和を見て、智樹は気がつきました。
 ここは「不思議の国のアリス」の世界なのだと。あの絵本の中に吸い込まれてしまったのだと。そして、そんな事が出来るのは、イカロスの持つカードだけだと。
 とにかく、智樹は今アリスです。アリスを演じなくてはなりません。この物語が終わったときに、きっと元の世界に帰れると考えたからです。

「ごめんなさ〜い! お姉ちゃぁん」

 だんだんと困ったような表情になっている日和の腕に智樹は抱きついて、可愛い声を出しました。女の子ですもの、これくらい大丈夫だと思っての行動です。
 日和も全く怒らずに、智樹の頭を撫でてくれました。
 二人は腕を組んだまま、小高い丘の上にある木の根本までやって来ました。木陰でとても涼しい影が通り過ぎていて、読書にはもってこいの場所です。
 日和が先に座り、智樹は日和の足の間にするっと滑り込みました。そして、ぽふんと寄りかかります。

「えへへ、トモ子(アリス)、ここがいいなっ!」

 とびっきり甘えた声で日和を見上げると、微かに驚いた表情からすぐに困ったように笑ってまた頭を撫でてくれました。

「もう……甘えっ子なんですから……」

 日和は腕を伸ばして智樹の前で本を広げます。
 音読をしてくれていますが、その本は開けど開けど文字ばっかりで絵も何もありません。智樹は頭に当たる日和の控えめながらも、柔らかい胸を堪能していますが、それでも退屈してしまいます。
 そろそろ本格的に眠くなってきた……と思ったその時、草の揺れる音が聞こえて、その方を見ました。

「!!?」

 今日の智樹は驚きっぱなしです。視線の先には、バニーガール姿で横切っていくイカロスがいたからです。

「遅れるぴょん、遅れるぴょん」

 不思議な語尾を付けながら、腰から繋がる懐中時計を持ってひたすらに走っていきます。
 どうやら、イカロスがアリスが追いかける白ウサギ役というようです。

「イカッ……!」
「トモ子(アリス)ちゃん!?」
「お姉ちゃん、ごめんなさぁい」

 智樹は日和の腕の中から飛び出して、イカロスの後を追いかけます。ピンク色の羽を揺らしながら走っているイカロスの足下はハイヒールなのに、智樹は全然追いつけません。
 ふっ……と見えていたはずのイカロスの姿が消えました。すると、次の瞬間、智樹の足下の地面が無くなりました。

「きゃああっ!」

 智樹は大きなウサギの穴に飛び込んでしまったのです。





 穴に落ちた智樹は滑り台のように、地面深く下の方まで滑り落ちてしまいました。

「いたた……ん?」

 打ち付けたお尻を撫でながら、スカートの埃を払って智樹は立ち上がります。
 そこはとても長い廊下のような部屋でした。扉はいくつもあるのですが、とても小さくて智樹が入れそうにありません。

「小さくなれってことか……」

 きょろきょろと見回していると、ガラスのテーブルに金の鍵と「Drink me」と書かれた瓶がありました。
 智樹はそれを一気に飲み干しました。戸惑う事もなく、それはもう一気に。

「わあぁ!」

 するすると身体が小さくなってしまいました。瓶が手から離れて、落ちてしまうかと思いきや、うまくテーブルの上に乗ったようです。

「よし、これで先に進め……ああっ!!」

 ドアが通れるほど身体は小さくなったので良かったと思ったのですが、鍵を開けるのをすっかり忘れていました。ダメ元でドアノブを握って回してみますが、当然開きません。
 鍵ははるか遠くのガラステーブルの上。足を伝って登ろうにも、テーブルには到達できません。ため息をついた智樹の目に、テーブルの下に置かれたケーキが入りました。それには、干しぶどうで「Eat me」と書かれています。
 これ以上小さくなる事はないと思った智樹は、そのケーキも平らげてしまいました。

「ぅうおおおお!!」

 予感的中。智樹の身体はどんどんと大きくなって、廊下の部屋を突き抜けてしまいました。下を見てみると、森の中にぽつんとあったお部屋です。

「ここまま進むか。確か、ハートの女王の城に行かなきゃいけないんだよな」

 ここまで大きくなってしまえば、わざわざ扉を抜ける必要はありません。智樹はそのまま歩き始めます。
 智樹が一歩歩くごとに鳥が飛び立ち、動物たちの声が聞こえます。木を踏み倒している事にちょっと申し訳なくなり振り返りましたが、智樹が歩いてきたはずの森は何ごともなかったかのように、木々が生い茂っていました。いくら踏んでも元に戻るのなら、一安心です。
 それでも、森の中に立っている家は避けて、どんどんと歩いて行きました。





「っつ!」

 順調に歩いていた智樹の足に突然痛みが走りました。まるで針が刺さったような痛みです。もしかして、木を踏み抜いてしまったのでしょうか。
 様子を見ようと立ち止まったとき、甲高い可愛らしい聞き覚えがある声が聞こえました。

「あはははは! おっきいおねえちゃんだ!」
「ちみっ……むぐぐっ」

 その名前を呼ぼうと口を開いたとき、口へと何かが飛び込みました。喉へとベストヒットしたそれを噛むことなく、智樹は飲み込んでしまいました。
 今度はどんどん身体が縮んでいき、智樹本来の大きさに戻りました。縮んだり大きくなったりして、これが本当の大きさなのか曖昧になっていますが、これで元どおりです。

「はぁっ、縮んじゃったぁ……」

 大きくなって真っ直ぐ歩いて行けば楽だったのになと、智樹は思います。

「ねえねえ、おねえちゃんはおにいちゃん?」

 大きなキノコの上に、緑色のローブを着たカオスが座っていました。両手をついて、身を乗り出して智樹へと話しかけてきます。
 カオスは芋虫に扮しているようです。ですが、その背中には既に翼があって、羽化しかけにも見えました。その翼はとても鋭利なものなのですが。

「えっと……今はお姉ちゃんで……」
「わかんない」

 カオスにも解りやすいように答えようとした智樹の返答を、カオスはばっさりと切ってしまいました。

「じゃあ、何を食べさせたの?」

 今度は智樹が質問する順番です。せっかくトモ子の姿になっているのです、優しいお姉さんのような口調で語りかけました。
 カオスはにっこりと笑ってキノコのカサをぽんぽんと叩きました。

「かたほうがおっきくなるの! はんたいがわはちいさくなるの!」

 カオスの答えはとても曖昧です。流石の智樹にも理解が出来ません。カオスが乗っているキノコのことを言っている事くらいは分かるのですが。
 もう一度聞こうとした智樹ですが、

「ばいばーい」

カオスは楽しそうに笑ったまま、キノコの上から消えてしまいました。
 取り残されたのは智樹のみ。
 おそらく智樹に食べさせたキノコを一周回ってみますが、ちぎった場所はありません。カサの上を見てみると、ちょうど真ん中が白くちぎられていました。これでは、どっちがどっちか解りません。

「……とりあえず、対角線上で取って……」

 智樹はカサの端っこを取り、さらにその反対側も取って、両方のポケットに入れました。





 森の中を智樹は歩いて行きます。

「しっかし、イカロスはどこ行ったんだ」

 とりあえず、イカロスを捜さなくてはいけません。アリスは白ウサギを追いかけるものですし、なんとなく彼女ならこの世界からの抜け出し方を知っていそうだったからです。
 道を真っ直ぐ進んでいくと、お家がありました。そのお家の隣に生えた木の下には、テーブルが出ていました。

「あれ、お客様だ」

 白いウサ耳の生えたそはらが智樹を見つけました。

「ふむ」

 そはらの声にティーカップに口を付けていた英四郎が応えます。その頭には、大きなシルクハットを被っています。

「……」

 その二人の間には、小さな丸い耳の生えたダイダロスが眠っていました。

「なるほど……ここでか」

 アリスでも有名な「狂ったお茶会」のシーンです。
 外見から予想するに、そはらは三月ウサギ、英四郎は帽子屋、ダイダロスはヤマネでしょう。

「お嬢さん、お茶はいかが?」

 立ち止まったままの智樹にそはらは席を勧めます。そのテーブルにはたくさんの椅子が並んでいて、同じ数だけティーカップも並んでいました。

「ぇ、はぁ〜い。お邪魔しまぁす」

 智樹は戸惑いながらもにっこり笑って、肘掛けのついた豪奢な椅子に座りました。だって、三人はテーブルの端に固まって座っていたのですから。近くに座るのには、その椅子しかありませんでした。

「お菓子もお茶もたくさんあるからね〜」

 智樹の前に置かれたティーカップに紅茶が注がれていきます。湯気も立っていて、とてもいい香りです。

「あ、あのぉ……バニー姿のイカロス(白ウサギ)を知りませんかぁ?」
「ふむ……イカロス(白ウサギ)ならハートの女王の城へ向かったはずだ」

 英四郎は静かに質問に答えてくれました。この国で会った人や物全部がこうやって解りやすい答えをくれるのなら、苦労はありません。智樹は内心とても感謝しました。

「じゃあ!」

 やっぱり目指すべき場所は、ハートの女王のお城だったようです。行き先がわかれば善は急げ。智樹は勢いよく立ち上がりました。その衝動で椅子が倒れそうになりました。

「待て。お茶の時間は終わっていない」

 ですが、英四郎は智樹の離脱を許しませんでした。だって今は大人しくお茶を楽しむ時間です。席に着いたのなら、その時間を楽しまなければいけません。
 立ち上がった智樹は力なく椅子に腰掛け直しました。

「いつ終わるんですかぁ……」
「いつまでも終わらないわよ、お嬢さん」

 そはらは懐中時計を見せてくれました。文字盤の針はバラバラに細かくなって散らばっていました。

「時計が止まったままなの」
「ハートの女王に時間をバラバラにされてしまったんだ。直せるのは、こいつだけなんだが……」

 そはらと英四郎が同時に見たのは、眠っているダイダロスです。智樹たちが話している真ん中にいるにも関わらず、ぐっすりと眠りこけています。

「身体が弱くて、いつも寝てばかり」
「だから時計は直らず、ずっとお茶の時間なんだ」

 そはらは困ったように言い、英四郎はお茶会を続けます。時計が役に立たないのであれば、いつまでたってもお茶の時間が終わりません。
 智樹はティーカップを持つと、一気に飲み干しました。ちょっとだけ熱い紅茶が身体の中を流れていくのがわかりました。

「私のお茶の時間は終わりましたぁっ! これにて、失礼っ!」

 そして、勢いよくソーサーの上に戻してテーブルから離れました。こんなのことに時間を使っている暇はないのです。

「お嬢さん」
「あまりにしつこいと女の子に嫌われますよっ!」
「いや……ハートの女王に会い、『止まった時計を持った白ウサギを知らないか』と聞かれても、ここのことは教えないで欲しい」

 英四郎は智樹を見ずにそう言いました。理由を聞きたくなりましたが、なんとなく聞いてはいけないような気がしました。

「えっと……わっかりましたぁ」





 狂ったお茶会を後にして、智樹は森の中の道を駆け抜けていきます。ですが、ここでやっと気がつきました。ハートの女王のお城が何処にあるのか分からないのです。なんとなくこの道を辿った先にあるような気もするのですが、無かったらどうしましょう。

「どこへ行くの、トモキ(アリス)」

 木の上から降ってきた声に智樹が振り返ると、にやにやと笑っているニンフがいました。
 紫の縞々のワンピース。それと同じ色のネコミミと大きなしっぽ───ニンフはチェシャ猫です。智樹を見て、バカにしたようなにやにや笑いを浮かべています。

「ベタだなぁ」
「な、なんなのよ!」

 ニンフは笑うのをやめて怒り始めました。いつも笑っていないとチェシャ猫ではありませんよね。

「えっとぉ、トモ子(アリス)、ハートの女王様のお城に行きたいの。きゃるん」

 とびっきり可愛い子ぶって智樹は訴えます。握った両手を口の前に置き、首を傾げて上目遣いで言います。

「……」
「教えてくれますかぁ」

 引き気味のニンフにだめ押しのもう一回。さらに、ニンフがどん引いたのが分かりました。

「先の木にあるドアをくぐりなさい」

 引いてはいますが、ぴんと腕を伸ばして先を指差します。
 森の中の道はまだまだ続いています。その先に歩きまで行けという事でしょうか。

「もっとも、入れればの話だけど」

 最後の最後で、にやにや笑いを思い出したニンフはすぅっと消えてしまいました。笑った口元だけが最後まで残り、それもやがて無くなってしまいました。
 とにかく女王の城の手がかりを得た智樹はニンフに言われたとおり、道を真っ直ぐ進みます。すると、ドアのある木を見つけました。
 ですが、一番最初の廊下の部屋似合ったドアのように小さいドアです。同じ過ちを繰り返さないように、大きいままドアを開けてみました。ちゃんと開いて、その奥にはとても綺麗な庭が広がっていました。

「これを使うときが来たわけね」

 ポケットからキノコを取り出しました。ですが、結局どっちが大きくなるのか小さくなるのか分かりません。仕方ないので右手に持った方を食べてみました。

「うわぁぁっ!!」

 どうやら間違えてしまったようです。身体がどんどん大きくなってしまいました。

「このまま行ければ……見当たらないから無理か」

 同じように歩いて行こうと思ったのですが、城らしき物は一つも見えません。森ばかり広がっているだけです。
 今度は間違えないよう左手の米粒のようなキノコの欠片を食べました。
 するすると身体は縮んで、ドアに入れる大きさになったので、智樹はその中に入っていきました。





 ドアを抜けた先の庭はとてもとても綺麗なところでした。花は咲き乱れ、噴水から出る水は太陽の光を反射させてキラキラと煌めいています。どこか空気も華やかな香りを纏っているように思えます。
 まだお城は見えず、智樹は庭を歩いていました。歩いている先に大きなバラの木がありました。その木は白バラの木でしたが、紫色の髪の庭師が赤いペンキで赤く塗っていました。

「あのぉっ」
「ん〜?」

 智樹が話しかけて振り向いたのは、美香子でした。身体にぴったりとした白い服を着ていて、表面にはハートのマークが七つ書かれていました。

「あら〜初めて見るお嬢さんねえ〜。どうしたのかしら〜」
「!!?」

 この世界に来て一番智樹は驚きました。だって、美香子がトランプ兵だったからです。
 智樹はハートの女王は美香子だと思っていました。今まで会ってきた智樹の仲間たちは、ある程度納得のいく配役だったのに、何故彼女だけ。

「貴女はだあれ? お名前は〜?」

 戸惑っている智樹に美香子は問いかけます。

「と、トモ子(アリス)っていいますぅ〜。貴女はぁ……トランプ兵さん?」
「そうよ〜」

 美香子はにっこり笑って頷きました。やっぱり、間違っていないようです。

「ハートの女王様が白いバラが嫌いだから、赤く塗ってる……ってやつですかぁ?」
「ええ、そうなの〜。やっぱりバラは血の滴るような、真っ赤なのがいいわよね〜」

 びしゃっと音が鳴りそうなくらいペンキを含ませハケで白いバラを塗っていきます。葉っぱに赤い色が付いても気にしません。芝生にペンキが垂れても気にしません。

「はい……」

 ほのかな笑みを浮かべながらペンキを塗っている姿に、頷くしかできませんでした。

「あの! イカロス(白ウサギ)はここにいますか?」

 智樹は目的を思い出しました。

「イカロス(白ウサギ)ちゃん? ああ〜、イカロス(白ウサギ)ちゃんはハートの女王様のお友達ですもの〜。クロッケーの試合にご招待しているわ〜。そろそろ着くんじゃないかしら〜」
「じゃあ、ここで待たせてくださぁい」

 クロッケーが何かは分かりませんが、試合というのなら、何かのスポーツでしょうか。とにかく、イカロスはここに来るようです。なら、待っていた方が得策です。

「いいわよ〜。で、トモ子(アリス)ちゃん? 止まった時計を持った白ウサギを知らない〜? 女王様がお探しなの〜」
「えっ……! あー……知らないですぅ……」

 英四郎に言われたとおり、シラをきりました。何故内緒にするか分からないですが、約束は守らないといけません。

「そう〜残念ねぇ」

 本当に残念そうな声で美香子はバラを塗る作業に戻りました。智樹はその様子はちょっとだけ離れたところで見ていました。そして、少し考えます。

「……ハートの女王が会長じゃないなら、誰だ……? まだ出てきていないのは……」
「あー!! バラが白い!」
「あら〜女王様、お早いお着きですね〜」
「まさかの配役!」

 思わず智樹は叫んでしまいました。だって、本当にまさかだったのですから。
 まだ出てきていなかったのは、アストレアでした。スカートが付いたボンテージのような姿でトランプ兵を引き連れ、アストレアが姿を現しました。服の色は真っ赤で、まさにハートの女王です。

「ダメじゃないですかー! ハートの女王は赤いバラが好きなんですよ!」
「ごめんなさい〜。トモ子(アリス)ちゃんのお相手をしていて……」

 アストレアが美香子を怒るなんてとても珍しい、世界がひっくり返らないと起こらないような光景を智樹はぼんやりと眺めていました。

「トモ子(アリス)?」

 美香子の影に隠れてた智樹をアストレアが覗き込みます。

「アストレア(ハートの女王)様ぁ! イカロス(白ウサギ)はまだ着かないですか!?」
「……ここにいますぴょん」

 がさり、植え込みの木の葉を鳴らしてイカロスが現れました。相変わらず、変な語尾が付いています。

「見つけた! イカロス、この世界から出るにはっ……!? な、何……っ!」

 イカロスの方へ駆け出そうとした智樹を美香子は羽交い締めにして、アストレアの前に出します。

「大切なお仕事を邪魔したのは、この子のせいです〜。いけないことをした子には、なんて言うんだったかしら〜?」
「えーっと……あ! 首を跳ねてお仕舞い! ですっ!!」

 アストレアが考える様子を見せてしばらくした後、晴れやかに答えました。
 このやり取りで智樹は察しました。この二人は役職を交換しているのだと。何のためかは分かりませんが、予想どおり本来は美香子がハートの女王でアストレアがトランプ兵だったのです。

「かしこまりました〜」

 それよりも大変な状況になっています。美香子の手には、人の首すらも難なく切ってしまえそうな剪定ばさみが握られていました。そして、その歯が大きく開かれていて……

「やめてくれええぇぇっー!! しっ、白ウサギの居場所、言いますからあっ!!」
「あら〜嘘をついていたの〜? アストレアちゃん(女王様)〜、嘘つきはどうしましょうか〜」
「首を跳ねてお仕舞い!!」
「かしこまりました〜」
「けっきょく回避できないかああぁぁー!!」

 危機回避のカードになると思った「白ウサギの居場所」でしたが、どうやら効果はないようです。
 この世界はきっと夢だと思いますが、凶悪なはさみに首を落とされる覚悟を決めなければならないと思ったその瞬間、

「……ぴょん」

イカロスの奇妙な鳴き声が聞こえてきました。
 そして、冷たい金属がついに首筋に───





* * * * *





「……っ!!」

 びくんと息を詰まらせながら智樹は目を覚ましました。

「お目覚めですか? マスター?」
「……イカロス……だな」

 上から降り注ぐ優しい声の主を確認します。長い耳も付いていなければ、バニーガール姿でもなく、奇妙な語尾も付いていません。

「はい。カードが起動していましたので、様子を見ていました。マスターが目を覚ましたので、効果はなくなったと思いますが……どこか悪いところはありますか?」

 そう言ってカードを見せました。起動すると光るカードは、何の光も放っていません。
 やはりシナプスのカードのせいだったと分かった瞬間、一気に疲れが押し寄せてきました。
 身体の力を抜くと、今頭を乗せているのがイカロスの太ももだと気がつきました。部屋の中で倒れていた智樹を膝枕で見守っていたのでした。

「いいや……なんか疲れたから、このままでいてくれ」
「はい。了解しました、マスター」

 ほんのり温かく柔らかい太ももを感じながら、智樹は目を閉じました。もうあの不思議な世界に行かないように願いながら。



end





今回はアリスパロです。
 古今東西童話パロディというのは王道。その由縁に従ってみました。
絵本を意識した文体も楽しかったですが、一番楽しかったのは配役です。
 実は、帽子屋先輩が「ハートの女王に言わないでくれ」と言った理由と
アストレアと会長が役職交換していた理由はちゃんとあります。
そのうち追加出来れば。

2014/08/16 発行
2017/01/31 サイト掲載